結婚式

■小学校時代の友人で、同じ少年野球チームだった親友の結婚式へ。
日枝神社で挙式の後、「響 風庭 赤坂」へ移動し、披露宴。新郎新婦の友人が多く、終始柔らかく賑やかな雰囲気。
新郎は穏やかでマイペースな男。新婦は、優しく、先のことまで考えてくれそうなしっかりした方という印象を受け、二人がぴったりに見えた。

小学校卒業以来ずっと会っていなかった友人にも再会し、大変笑いの多い楽しい時間を過ごさせてもらう。新郎も含め、みんな変わっていないように見える。こういうとき、旧知の友人に会って感じる「変わってないなあ」という感覚は、どういう意味なのだろうか。おそらく、「変わってないなあ」というセンテンスを省略せずに言えば、「20年近い歳月を経たのだから人は変わっているはずだ。にもかかわらず、変わってないなあ」という意味だろう。では、「20年近い歳月を経たのだから人は変わっているはずだ」という感覚は、どこからくるのか。おそらく「20年近い歳月を経て、自分自身は当時に比べて大きく変わったはずだ」という認識からくるのではなかろうか。
けれど、自分自身も「変わってないなあ」と思われている可能性も大いにある。

では、いったい、何が変わって、何が変わっていないのか。「人格の表層」と「人格の構造」という二つに分けて考えてみると、どうだろう。
「人格の表層」とは、背格好、声、服装、知識、後天的に身に着けた能力など。
「人格の構造」とは、志向性(ネガティブかポジティブかなど)、自分の存在をどのくらい主張するか、人をリードするかフォローするか、どのくらい他人に注意を払うか、どのくらい物事を深刻にとらえるか、など。
そして、「人格の表層」は変わるが、「人格の構造」はあまり変わらないようだ。

おそらく、人は自分自身の「人格の表層」の変化には敏感で意識的である。けれど、自分自身の「人格の骨格」には無自覚である。
だから、「人格の表層」の変化をもって「20年近い歳月を経て、自分自身は当時に比べて大きく変わったはずだ」という認識を持つ。けれど、人は他人の「人格の骨格」を見るから、「変わってないなあ」と思う。
(とはいえ、顔つきもあまり変わっていなかったように見えたなあ。。。)

「人格の構造/表層」は、どちらかといえば、個々人の内部のことだけれど、もうひとつ、個人同士の関係について見れば、グループ内でのポジショニングも小学校時代とあまり変わっていないように思える。だれが突拍子もない冗談を言い、誰がツッコんで、誰がまとめるのか。誰が多く話し、誰が少なく話すのか。誰が話の流れをつくり、誰が話を展開するのか。
ということは、「グループ内でのポジショニング」は、メンバーの「人格の構造」によって形成されているということか。(考えてみると、あまりに当たり前の結論のような気もするが。)

とにかく、とても素敵な式で、楽しい時間を過ごさせていただいた。
新郎新婦、どうぞ末永くお幸せに。

http://www.hiejinja.net/index.html
http://www.hibikiwedding.com/akasaka/index.html

■5月号の原稿作成。