「サラジー」展 「大西伸明展 ―無明の輪郭―」 「アートは心のた

xsw23edc2008-03-30

ここ一週間くらい。

東京デザインセンターの懇親会にお邪魔する。雑誌社や新聞社の方々と同席し、日本の家具メーカーの技術を世界に向けて発信するプロジェクトなどについて聞く。
地方の職人技術やメーカーの製品が海外のマーケットで、もっと評価されてもいいと思う。問題は、日本のメーカーと海外のショップとの契約が成立した後、エージェントの選定など、流通に関する問題をいかに国や取りまとめの団体がサポートしてあげられるかだろう。
http://www.design-center.co.jp/

■エイトインク三橋さんの新しい事務所へ。映画、音楽、アートのお話で大変盛り上がる。droogdesign、コロンボ兄弟、Jan de Cock、ジャン・プルーヴェの話を聞く。洗練やキレイさよりも、剥き出しのコンセプトや剥き出しの構造体、ブルータルな感じ、ユーモア、マテリアリティーなどに興味を持たれている様子。ご本人曰く「理にかなったものが好き」。とても勉強熱心な方。事務所内に流れるアンダーワールドなどのBGMが心地よい。
http://www.8ink.jp/

■有楽町にて撮影。

■銀座をウロウロ散歩する。近々オープンする(もうオープンした)スワロフスキーのファサードなどを見る。

エルメス「サラジー」展へ。日用品を用いたインスタレーション。躍動感、集積、融解、崩壊、沈没、過剰、、、そんな感覚を楽しむ。この作品が都市の風景のように見えるのは、非常に多種の素材が塔状に集積されているからだけでなく、作者の計画性が及ぶ部分と及ばない部分のバランスが、都市に似ているからではなかろうか。それぞれのパーツの配置は作者が意識的に決めたのであろうが、全体として作者の営為を超えたものができあがっているように見える。
http://www.tokyoartbeat.com/event/2008/5A4D

■INAXギャラリー「大西伸明 展 ―無明の輪郭―」へ。人工樹脂で、木や脚立やドラム缶など様々なモノの擬態を制作。僕が日々、モノを識別するとき、ほぼ完全に視覚情報に依存しているという事実に気が付く。
http://www.inax.co.jp/gallery/contemporary/detail/d_001122.html

■スニーカー購入。自由が丘のABCマートは、店内が広く、店員さんの応対も気持ちよく、ゆっくり選べるのでよい。

■学生時代の友人の結婚式二次会へ。友人が幸せそうな表情しているのは、うれしいことだ。結婚する人を見ていると、どこか強く潔く見えるのは、なぜだろう。きっと、その人は死ぬまでにはまだまだ多くの異性に出会う可能性があるわけだが、そうした未来の可能性を事実上捨て去る決断をしたということに、強さや潔さを感じるのではなかろうか。僕がちょっとグッくる理由は、おそらくそこにある。だとすると、一夫多妻制であったら、結婚に対してあまりグッとこないのだろう。

■自由が丘「和ダイニング 鍵」にてランチ。1階はカウンターのある和食店で、2階のスペースはバーに近い雰囲気。貸切パーティーなどにいいかもしれない。鶏の丼をいただく。オープンしたばかりのせいか、スタッフの数が妙に多く、やや落ち着かない。が接客はよい。
http://r.gnavi.co.jp/p790300/

■ルベインにて、公園で使うファニチャーの展示へ。とてもリアルで、すぐ使えそう。

アクシスギャラリー「考える衣服」展へ。もっと繊維の特質を生かして、環境に感応したり呼吸したりする衣服が展示されているのかなと思ったが、そうではなかった。

■ウィルクハーンのショールームへ。中央部に、白い玉砂利に囲まれたミーティングスペースがある。内部の中の内部という入れ子状のつくり。このミーティングスペース内部が外界から切り離されてちょっと非現実的なのが、ショールームらしくて印象的。
http://www.wilkhahn.co.jp/shop/index.html

森美術館「アートは心のためにある: UBSアートコレクションより」展へ。全体は、「1.ポートレイトから身体へ」、「2.造られた世界」、「3.ランドスケープから宇宙へ」という三部構成。つまり、肖像画、人工の風景、自然の風景、という古典的で客観的な括りになっているため、その括りから“はみ出している”作品が目立ち、面白い。
詳細を書きたいが時間がないので、印象に残った作品のみ。
「1.ポートレイトから身体へ」では、被写体自体に意識がいく作品もあれば、チャック・クロースやオスカル・ムニョスのように手法に興味がいく肖像画作品もある。また、中身(被写体)でも形式(手法)でもなく、広く社会的な問題に目を向けさせるシンディ・シャーマンやツァオ・フェイのような作品もあった。ツァオ・フェイの作品は、確か中国の工場の風景を映したムービーだったと思うが、個性を消去されたような工場の流れ作業の中でも、個々人の顔つきや表情がとても個性的であるのが興味深かった。
「2.造られた世界」では、アンドレアス・グルスキー、ダグ・ホール、カンディダ・へーファー、ギリェルモ・クイトカ、マッシモ・ヴィターリなど、過剰で広大な人工風景をくっきり鮮明に撮ったり、人が不在の人工風景を撮った作品が並ぶ。美術館で絵画を鑑賞する人々を写したトーマス・シュトゥルートの作品は、美術館でこうして作品を見ている自分自身さえも作品の世界に取り込まれ、相対化されてしまったような、奇妙な感覚を覚える。
その他、畠山直哉は瞬間的な破壊を撮る。宮本隆司は、もう少し時間をかけた破壊を撮る。
都市の風景を撮った作品は、過剰や破壊を写したものが多く、それらはどこか諦念を感じさせる。創造や生成をテーマにした都市の風景写真がなかったように思えて、悲しかった。
「3.ランドスケープから宇宙へ」では、どこに分類していいのかわからない抽象画も混ざっており、幅の広さを感じられる。
とにかく、これだけ多くの作家の作品を一度に楽しめること自体、刺激的な機会である。知らないアーチストも多く、勉強になる。

http://www.mori.art.museum/jp/index.html

■オフィスにこもって、入稿準備、入稿作業、校正作業、細かい打ち合わせなど。

■部内の歓送迎会。入学卒業のシーズンに、たまたま職場の数人の同僚の入れ替わりが重なる。春らしく心機一転。協力的で柔和な同僚や先輩が去ってしまうのは残念だが、新たに加わった優秀な仲間と一緒に仕事ができるのはうれしいことだ。組織は、新しい風が入ってこないと硬直してしまう。

■来月号分(5月号)の自分の原稿が書き終り、やや一息。

テレビ東京で「元祖!大食い女王戦」なる番組が放映されていた。見るだけで嫌悪感と吐き気を催す愚劣な番組を見ると、テレビ局の良識を疑う。なにも大食い番組に限ったことではないが、特に大食い番組は最悪である。