元日  『告白』  『仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか』

■元日、20人以上の親戚と一気に会う。いつの間にか大人が増えている。そして、赤ちゃんも増えた。


■『告白』(湊かなえ双葉社)を読む。

無駄のない文章で、壮絶なストーリーを一気に読ませる。
複数の語り手を導入することで、読者は特定の登場人物に感情移入しにくい。そのため、いったい誰が正しいのか、と読者に判断が委ねられる。
終始、陰鬱な雰囲気の漂う小説だが、読んでよかった。

自己承認欲求が満たされない人や、自己実現に奔走する人たち(息子を自己実現の道具に使う母親も含め)が、小さなきっかけ(意図的な、あるいは偶発的な)を積み重ねながら、不幸を連鎖させていく。

ドストエフスキーの作品が「父殺し」の文学なら、この作品は「母殺し」の文学ということだろうか。それにしても、作中に登場する男(父親3人を中心に)の存在感が総じて薄い。大切な奥さんや子供のために、なぜ積極的なアクションをしないのか。代わりに、子供に依存する母親や子供を捨てる母親が大きな存在感を示し、ストーリーを駆動させている。現代の神話という印象。


結局、僕の価値観に即して言えば、本書に登場する人物たちの人間関係の多くに欠落しているのは、“相手の存在を無条件に肯定し、抱きしめること”だろう。(ただし、“相手の存在を無条件に肯定すること”は“相手の行為(やその結果)を無条件に肯定すること”とは全く違う。この勘違いが、昨今のモンスターペアレントを生んでいる)

親子関係で言えば、まず親が子供の存在を無条件に肯定し、抱きしめることだ。親子関係だけでなく、誰かに深く愛情を感じれば、自然にそうなると思う。そして、この“存在の肯定”が人の自己承認欲求を満たし、すべての行動の基礎になる。

一方、友人関係で言えば、“相手は自分と違うのだという多様性を無条件に受け入れ、その存在を肯定すること”と言い換えてもいい。相手が自分よりある面で優れているように見えても、ある面で劣っているように見えても、あるいは自分の思い通りにいかなくても、まずは相手の存在を受け入れるということ。すべては、そこからだ。
主人公の森口先生が、生徒と対等な目線で話すというスタンスについて言及するシーンがあり、それは、人間関係に上下や優劣をつけるのではなく、“相手の存在を無条件に肯定する”ことを示唆しているのだろうと感じた。


■『仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか 』(山本ケイイチ/幻冬舎新書)を読む。

著者は「トレーニングの目的は『続けること』」と言い、継続の重要性を説く。続けるためには、「どういう自分になりたいか」というセルフイメージを持ち、目的を明確化し、目標管理をしろと言う。
そして、トレーニングを続けた結果、筋力だけでなく、メンタルタフネスが向上したり、集中力や直感力も高まったりするそうだ。
後半の、睡眠や食事に関するアドバイスも数字を交えた実践的な指導で嬉しい。ジム選びやセルフトレーナー選びのポイントも、人によっては参考になるだろう。

おかげで、最近考えていたことが整理できた。