『時間論』

『時間論』(中島義道)を読む。

過去中心主義から時間を論じる。
以前に読んだ『時間を哲学する』とほぼ同じ内容。
時間は決して流れているのではない。「知覚」と「想起」、あるいは「今」と「過去」という互いに全く相容れない二つの要素を結びつけるために要請されるのが時間感覚である。ということが分かりやすく説明されている。
ちなみに、「時間」という感覚と同時に、同じ理由で、「私」という感覚も要請されると思うが、そのことが、143ページの後半にうまい表現で説明されていた。
「ここには、過去と現在という互いに相容れない二つの<いま>が登場しており、両者の亀裂が根源的であるからこそ、両者をつなぐ強力な接着剤として、「私」が自然なかたちで登場してくるのである。「私」とは、一つ前の<いま>知覚していた作用主体と同一である<いま>知覚し想起している作用主体なのである。」(P.143)

過去はどこへ行ってしまうのだろう、と感じている方にはお奨めの一冊。