『鍵のかかった部屋』

鍵のかかった部屋』(ポール・オースター白水Uブックス)を読む。

書くことについて書かれた小説。
「読むこと」と「書くこと」と「生きること」が同義になっているような生き方をしている人の中には、もしかすると、つねに死を傍らに感じながら生きている人が少なからずいるのかもしれない。そう感じさせる小説だった。だからと言って、すぐに自ら死を選ぶわけではない。だけれど、いつも死が隣に静かに居座っている。いつも自分は小さく儚い「生」という座布団のような場所に座っていて、そのまわりには茫漠とした広大な死の空間が漂うように広がっている。そして、そこでは、死は必ずしもネガティブな存在ではない。むしろそこでは、生と同じくらいに、死が当たり前の存在としてある。

そういう感覚で生きている人が、世界には少なからずいるのではないか。時代や国が違っても、一定数いるのではないか。本書を読んでそう感じた。

「僕はもうずいぶん長いこと死とともに暮らしてきた」(P.218)。この印象的なセリフを含め、「僕」とその旧知の友人ファンショーが扉を隔てて語り合うシーンは、圧巻であった。
読後に興味を持ったのは、そのように死とともに生きることと、言語という世界認識の道具を愛することとの間に、どのような関係があるのだろうか、ということだ。
少し時間を置いて、再読したい。