『結婚』(橋本治/集英社)を読む。

結婚

結婚

大変興味深く読んだ。20代、30代の男女にオススメ。
そして、「結婚なんて、しようと思えば誰でもいつでもできるはずなのに、なぜ最近は晩婚化や非婚化が進んでいるのか」と思っている高齢の方々にもオススメ(もっとも、頭が固くなってしまった方々は、本作を読んでなお、晩婚化や非婚化にまつわる現況を理解することは難しいかもしれないが)。
  
本作は、小説の体裁をとっているが、実質的にはほとんどエッセイと言ってよい。晩婚化、非婚化、独身生活、出会い、仕事、婚活、出産といった結婚をめぐる話題について、何が問題なのか、そしてそれらの問題はなぜ生じるのか、著者が思索をめぐらせた。その思索の痕跡を小説という形にした。そんな作品だ。
  
主人公が女性なので、女性読者は共感や反発をしながら楽しく読めるだろう。著者は、結婚をめぐる現代女性の思考回路を的確に理解し表現しえていると思う(もちろん、女性読者に聞いてみてないと、主人公の思考回路が多くの現代女性の思いを代弁しえているかは分からないけれど)
今日、「結婚が非常にやっかいなものである」という問題は、女性だけのものではない。男性にとっても大いに問題である。けれどもやはり男性にとってよりも女性にとっての方が「結婚しにくさ」が問題となる理由は、出産年齢が関連してくるからだ。男女雇用機会均等法が生まれて30年近い年月が経ち、日本社会で女性がある程度働きやすくなってきたであろう今、女性のライフコースの選択肢は増えた。男性と同じように働き一人で自活して生きていくこともできる。周囲からの「早く結婚しろ」という圧力も、親世代の時代よりはずっと弱まっただろう。そうした環境の変化を受けて、女性が「いつ結婚するのも自由だし、そもそも結婚するもしないも自由だ」と感じるようになっとしても不思議はない。少なくとも「早く結婚しなくては」というプレッシャーはかつてより軽減されただろう。ところが、出産について考えると、「結婚など、いつしてもいい。結婚したいと思える相手に出会ったら結婚しよう。出会えなければ無理に結婚する必要はない」などとは言っていられなくなる。
つまり、社会的要因に左右されて拡張した結婚適齢期と、身体的要因に左右される出産適齢期が、ズレてくる。
そんなわけで、本作品の主人公は女性であるし、冒頭から「卵子の老化」という話題が登場する。
  
そもそも、現代の若者(20代、30代の男女をひとまず「現代の若者」と呼んでおく)にとって、結婚の何が問題なのか。
一言で言えば、結婚が「100パーセント本人の自由意志でするもの」になった(ように見える)こと。それが問題なのだと思う。
おそらく1970年代か80年代まで、「結婚」というものは、人々があえて外在的に意識する対象物ではなかっただろう。人々は、結婚という大きな社会的な慣習の中に当事者として居た。ただそれだけだった。極端に例えれば、多くの人にとって結婚は成人式のようなものだったのではないか。「成人とは何か」などと考えるまでもなく、気づけば人は成人になっている。結婚も、それに近い感覚だったのではないか。だからこそ今、若者が親の世代を眺めた時に「なぜこの人たちが結婚できたのか」と不思議に思うような人々が実際に結婚なるものを成し遂げている。
ところが、80年代以降、特に大都市部では、状況がまったく違う。
かつては、人は、地縁・血縁・社縁に支えられたいくつかの共同体に属していて、結婚適齢期になると、親類や近所の世話焼きのおばさんのような人が縁談を持ってきた。本人たちも、「この相手は、自分にとって最高のパートナーだろうか。自分にとって最愛の人になりうるだろうか。この人とどのような結婚生活を実現できるだろうか」などとは考えずに、「まあ、そろそろ私(あるいは僕)もいい歳だし、まわりも薦めてくれるし、この人と結婚するか」といった気持ちで結婚を決めた。(多分、そんな感じだったと思う。当時の現実を実体験したわけではないので、あくまで想像ということで読んでください)
  
ところが、この30年間、個人主義自由主義、プライバシー、女性の社会進出、核家族化などが社会の趨勢となり、
地縁・血縁・社縁は弱体化し、おそらく「世話焼きのおばさん」などは絶滅危惧種となった。というか多分、絶滅した。
というわけで、晴れて人々は自由になった。地縁・血縁・社縁が持ってくる狭い選択肢の中から結婚相手を決めるという不自由さから解放されたという意味で。
つまり、「さあ、結婚したい人は、自己責任と自由意志と自分のコミュニケーション技術によって結婚相手をゲットしてください。結婚相手となる人物の選択肢は、無限に広がっていますよ」という事態になった。
しかしながら、自由は同時に人に困難をもたらす。当然、「地縁・血縁・社縁による共同体システムに飲み込まれているうちに、なんとなく結婚してしまった」という事態は起こりえない。交際や結婚に関する一挙手一投足を、本人が意識的におこなわなくてはならない。
結婚相手の選択肢が無限に広がれば(あるいは、広がったように見えれば)、この人と結婚しても良いかなと思える異性に出会ったとしても、「本当に私の結婚相手はこの人で良いのか。もっと良い人がどこかにいるのではないか」という疑念がほぼ永久に解消されない。「まあ、この人でいいか」とは思えない。なぜなら、この相手と結婚して、もし少しでも後悔する結末を迎えたとしたら、「その責任はすべて私にある。私の100パーセント自由意志で選んだのだから、100パーセント自己責任である」と考えざるをえないからだ。かつては、違った。その縁談を推し進めた人々にも若干の責任があったので、夫婦喧嘩が深刻化すると、仲人の老夫婦が出てきて、「まあまあ二人とも落ち着いて。結婚生活というものはね」などと諭したりした。今や、そんな光景にはお目にかかれないだろう。
   
結婚生活がうまくいかなくなった場合も自己責任だが、もちろん、それ以前に「結婚できる/できない」も自己責任となる。当人の性格、コミュニケーション能力、ルックス、場合によっては年収、そうした能力次第ということになる。
実際には、能力だけでなく、運によるところも大きいと思うが、運の善し悪しは計量しにくいし可視化しにくいので、思考パターンとしては、「私の性格、コミュニケーション能力、ルックスなどのどこかに問題があるのではないか」という発想になる。そして次の瞬間、「だとしたら、私より性格やルックスが劣っていそうなあの子が結婚できて、なぜ私はできないのか」などと考え、隘路にはまっていく。そして、「そうか、自分の魅力をもっと多くの男性にアピールすれば、恋人や結婚相手などすぐ見つかるのではないか」と思い行動を起こすが、おそらく恋人や結婚相手は、意識して探せば探すほど見つからない。そうした相手に出会う瞬間は、まったく予期せぬ時に訪れる。少し後になって、「あの瞬間が、運命の出会いの瞬間だったのか」と気づく。意識して探している時に、「その瞬間」は訪れない。経験的にそう思う。
  
だんだん長くなってきたから、そろそろ本書の感想に戻って、締めくくろう。
こんな時代の結婚をめぐる困難を、本書は二人の女性の会話と行動を軸に表現する。僕自身は、30代男性だが、共感や納得する場面が多かった。
もしあなたが本書を読むべきかどうか迷っているのなら、234〜239ページを立ち読みしてみよう。その6ページに本作品のモチーフが凝縮して書かれている。そこを読んで興味が持てれば、本作品はあなたにとって読む価値があるだろう。
その中でも、現代の結婚をめぐる困難の真因を的確に述べている箇所があるので、引用しよう。
   
しかしもう、「ありきたりの結婚」というフォーマットはない。「結婚をしなくても生きて行ける」が実現された社会では、各人各様の個性が野放しにされるから、「ありきたりの結婚」へ行き着けない。「結婚して不本意が現れる」ではなくて、「結婚する前に不本意が現れる」になってしまう。
結婚した後の「不本意」なら、修復も可能になる。しかし、結婚前の「不本意」は、結婚自体を成立させない。であるにもかかわらず、現代ではその「不本意」を浮上させがちな、「どんな人と結婚したいのか?」を、まず考えさせられる。(P.237)
  
  
なお、「結婚」を「就職」に置き換えても、本作品は成立しそうだ。
「婚活」や「就活」という行動が誕生した背景は同じだ。地縁・血縁・社縁が消えて、「自分に吊り合うそこそこの相手」をまわりの大人たちが斡旋してくれるという共同体は機能しなくなった。すべては、個人の能力と自由意志で無限の選択肢の中から選んでチャレンジしてください、ということになった。となれば、まず当人たちは、「私は、どんな人と結婚して、どんな結婚生活を送りたいのか」「私はどんな企業に就職して、どんな仕事をしたいのか」と敢えて考えねば行動できないという状況になった。けれど、結婚や就職をする前にそんなことを考えたって、頭のなかはモヤモヤしたままで、クリアなイメージなど描けるわけがない。当然だ。そうなると、そもそも行動自体を始められない。運良く結婚や就職にたどり着けたとしても、「事前に思い描いた結婚生活と違う」「事前に思い描いた仕事と違う」という思いが浮上して、破局を迎える。それも当然だ。事前にクリアなイメージを描いてしまうのが、そもそも間違っているのだ。
こんなところが、「婚活」や「就活」を取り巻く困難の原因だろう。
   
今、安倍晋三首相は、「成長戦略としての女性の活躍」を叫んでいるが、さて、それがどんなふうに現代の結婚に影響を及ぼすだろうか。
  
最後に一つ。
本作品のラストシーンは、あまり面白いと思えなかった。主人公があるちょっとした決断をするのだが、その決断の必然性があまり感じられなかった。ラストシーンがイマイチなのは当然で、この作品は、冒頭で書いたように、小説というより実質的にはエッセイだからだ。
  
〈勝手に採点〉
・登場人物たちの魅力 ★★★☆☆
・ストーリー展開 ★★☆☆☆
・設定(時代、場所、状況等) ★★★★★
・メッセージ性 ★★★★★
・文章の魅力 ★★★★☆
  
結婚 (集英社文芸単行本)

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