CRYSTAL BEE HOUSE 結婚願望 「世界が一つの世界時計」

xsw23edc2008-01-16

■オフィスで作業。電話取材、段取り、色校正など。

■渋谷「CRYSTAL BEE HOUSE」にて8人で新年会。あっさりした洋食。内装は、森田恭通さん。
味わい深い知人に恵まれていることの豊かさに感謝し、家路へ。
http://r.gnavi.co.jp/g011043/

■ところで、20代半ばになった頃から、お酒の席で、「結婚願望はあるか?」という話題がよく出るようになった。そして、当然、そうした席で「結婚願望を持っているか?」という主旨の質問を受ける。その質問を受けた際にいつも感じる、羽交い絞めにされたような違和感は、なんだろうか。その問いに「持っている」と応えても「持っていない」と応えても嘘になってしまう、そうした違和感。

その違和感の理由はおそらく、僕にとって「結婚願望」と言われる感覚が存在していないことによる。それは結婚願望を「持っていない」こととは全く異なる。「持っている/いない」以前に、そもそも存在していない。ただし、「〜さんと結婚をしたいか」と問われれば、応えられる。つまり、結婚はつねに「〜さんとの結婚」という個別の出来事であって、結婚一般など、(少なくとも僕にとっては)想像できない。おそらく「僕がAさんと結婚すること」と「僕がBさんと結婚すること」は、ちっとも似ていない、まるで別の出来事だからだ。

皆、ありありと「結婚願望」という感情を抱き、「結婚生活」を想像しているのだろうか。いや、必ずしも、そうではない気がする。「結婚願望」という感情を感じ得ていない人も少なからずいるのではないか(あくまで想像)。にもかかわらず、「結婚願望を持っているか?」という質問から、これほどに自然に話題が盛り上がり、スムーズに話題が進展していくのは、なぜか。

それは、二つの意味で、言葉が生み出す幻想性によると思う。
一つは、言葉で表現された概念は実在する、と感じる幻想性。もし、「丸い四角」と言われれば、それは作図できないから、言葉で表現されても実在しない概念だということがわかる。しかし、「結婚願望を持っているか?」と問われると、疑念を差し挟む余地なく、多くの人が、「結婚願望」という感情を自分も感じることができるという前提で話が始まる。

二つ目は、名称が与えられている出来事は、皆が同じく経験できる一般的な出来事である、と感じる幻想。例えば、「結婚」という名称で呼ばれる出来事は、「僕とAさんの結婚」でも「あなたとBさんの結婚」でも、似たような出来事であると感じられる。しかも、婚姻届という制度や結婚式というイベントがあるから、「僕とAさんの結婚」と「あなたとBさんの結婚」は同じ種類の出来事のように見えるけれど、それらは、比較もできないくらい全く異なる出来事なのではないだろうか。そう感じる。

つまるところ、「〜との結婚」の「〜との」の部分を削除した「結婚一般」は、僕にとって、皆目想像がつかない。だから、「結婚一般」のようなものが想定されて、話題が

進んでいる最中は、何を喋ればいいのか分からなくなり、黙ってしまう。

けれども、「結婚願望を持っているか?」との問いに対して、「いや、結婚一般など存在しない」などと返答したことは一度もない。その都度の気分で、「持っている/いない」のどちらかを応えている。それは、その場の空気を壊さないため、ではない。そうではなく、酒の席での「結婚願望を持っているか?」という問いかけは僕にとって、ディベートの訓練の時の設問と同じような役割を担っていると考えるから。つまり、実感として結婚願望を「持っている/いない」は重要ではなく、差し当たってどちらか一方の立場を取った上で話題を進展させることが、この問いの持つ機能だからだ。

今まで真面目に考えたことのなかった違和感を考える機会であった。などと思いながら自転車をこいでいたら家に着いた。

■知人の建築家、河田将吾さんから、河田さん自身がデザインされた時計「世界が一つの世界時計」をいただく。見た人がここではない別の国や都市に思いを馳せることを企図した、世界平和を願う時計。以前からとても好きなデザインであったので、すごくすごくうれしい。シンプルでありながら、いろいろなことを考えるきっかけを与えてくれる創作物が大変好きであるが、この時計は、まさにそういうもの。
ちなみに、「世界が一つの世界時計」はネットで購入できる。今度、人への贈り物として購入してみようと思う。
http://www.orpps.com/ourworks/p_oneworldclock/index.html