『博士の愛した数式』

仕事で必要になり、『博士の愛した数式』を読む。

老数学者と、家政婦母子の物語。
終始、穏やかな空気が流れている。
おそらくその穏やかさの要因は、この小説が、“発信することの天才”にではなく、“感受することの天才”にスポットを当てていることによるだろう。(主人公が「女性・子供・老人」というマジョリティーでない存在であることも、穏やかさの一因かもしれないが。)

一般的には、“感受”する人より、“発信”する人のほうが、偉く見えたり、目立ったりする。たとえば“滔滔と発言する人”は、“じっくり耳を傾ける人”よりもポジティブな存在に見えるだろう。

けれど、作中の数学者は、既にそこに存在する普遍的な真理を受信するかのように、数学の問題を解いていく。また彼は、母子からプレゼントをもらい感謝をする場面でも、「もらうことについては博士は素晴らしい才能の持ち主」と描かれている。作中の子供もまた、ときに母親以上に、博士の心情などを鋭く察知し感受している。

かつて鷲田清一氏が著書『「聴く」ことの力』の中で、「受動や受容ということがもつポジティヴな力、それをわたしもまた人間という存在にとって本質的な力であると考え、それをこれまで〈聴くことの力〉として検証しようとしてきた」と書いていた。『「聴く」ことの力』を小説の形式で表現すると、本書のようになるのかもしれないと感じた。

喋り、発信し、書き、プレゼンテーションし、アピールするというようなことに疲れた人に、お奨めの一冊です。