読み物の充実  植田正治と妻 紀枝

■これからは、「高品質のものを高く売る」か「低品質のものを安く売る」か、どちらかを選択せねばならないような気がする。前者は、どこかの航空会社のボックス型ファーストクラスシートとか。高級腕時計もそうだろうか。また、後者を押し進めていくと、店長が残業代も支払われず酷使されていたどこかのFFチェーンのようになる可能性がある。ビジネスとしては、前者を狙ったほうがいいのでは。
さて、雑誌も同様だろう。「高品質の雑誌を高く売る」とは、具体的にどういう方法で可能になるか。いろいろ考えられるけれど、読み物としての充実度を高めることは不可欠だろう。「これなら1か月間は楽しめそうだから、3000円払っても買っておいて、居間のテーブルに置いておき、ちょこちょこ読もう」。そう思っていただければ、きっと買ってもらえるような気がするのだが、どうだろうか。

一方で、「10+1」「インターコミュニケーション」など活字中心の建築・思想・アート系雑誌が休刊している現状もある。確かに、ここ2年ほど、自分自身も両誌とも購入していなかった。中には好企画や面白い原稿もあったのだが、以前と比較すると、総じて企画や執筆陣や原稿に魅力を感じることが少なくなっていたのは事実だ。それと、90年代から00年代前半くらいまで、まだニューアカの名残りみたいな学生や若いクリエーターや人文学系の人々が存在していたが、そうした層の中で一番若年な人たちが30歳くらいになり、もう20代あたりでは、いよいよそういう人々が絶滅し、購買層が全然増えず、全体としては減っているということだろうか。(私情で言えば、残念だ)

他方で、先日の日曜の朝日新聞仲俣暁生さんが書かれていたように、「Monocle」なんかは活字が多いけれど、世界中で人気の様子。「public space」という文芸誌も数年前に創刊されて気になっていたけれど、人気なのだろうか。日本でも最近、「モンキービジネス」「真夜中」「面白いお話、売ります」が創刊されたり、新潮社の「yom yom」の人気が高いようなので、活字全般が低調なわけでは必ずしもなさそうだ。

ちょっと難しい思想系の雑誌(という表現が適切かわからないが)は低迷しているが、情報や物語を提供する雑誌は求められているのだろうか。

建築雑誌の中では、「新建築」さんの近刊を見ても、「読み物の充実」という方向性に注力されているように感じる。ポンピドー.・ センターのフレデリック・ミゲルーさんや、更には映画監督のペドロ・コスタさんにまでインタビューしており、なるほど面白いなあ〜と、つい本屋に走ってしまった。

「読み物の充実」で生き残るためには、それを製作する人材への投資がまず必要だろう。

http://tenplusone.inax.co.jp/
http://www.ntticc.or.jp/index_j.html
http://www.monocle.com/
http://www.apublicspace.org/
http://www.villagebooks.co.jp/villagestyle/monkey/contents.html
http://www.littlemore.co.jp/magazines/mayonaka/

■読み物といえば、「暮らしの手帖」最新号を読んでいたら、「植田正治と妻 紀枝」という原稿が印象的であった。読者に無理矢理に感動を強いるのではなく、しかし、彼らの言葉や行動から心理的な状況もしっかりと伝わってきた。取材対象との距離感がいいのだろう。
植田正治の写真に登場する砂丘の、ドライで、しかし柔らかい、あの空気にシンクロするような原稿であった。