ミクシー年賀状  東京タワー  蜷川実花

■連載の取材で、三軒茶屋にある飲食店プランナーさんの事務所へ。お忙しいなか、大変丁寧に、込み入った法律に関する話題をお話いただく。

■週の後半は、オフィスで入稿作業が中心。

■品川にて知人のパーティーにお邪魔する。ディスプレイデザイナーさん、会計士さん、産業技術研究所さん、内閣府の方、人材派遣業の方などなど、多様な方々とお話でき、楽しい時間を過ごす。
他の会合とバッティングしてしまい、そちらに行けなかったのはやや残念。12月は、魅力的な飲み会やクリスマス会や忘年会のお誘いをいただきありがたいが、日程が重なってしまうのが心苦しい。

■12月17日付け朝日新聞夕刊の1面に、東京タワーをめぐる人間関係に関する記事が載っていた。最高に面白かった。小説や映画でなく、実際にこんなことがあるのか、と。記事中の、「人生って、生まれた時代も含めてタイミング」という一言が、強烈なリアリティーと説得力をもって迫ってくる。
先日結婚した知人のデザイナーさんが僕に話してくれた「こういうことって、タイミングとフィーリングですから」という言葉を思い出し、オーバーラップする。
この記事に登場する二人(特に二つのエピソードのうちの前半の男女)が素晴らしいのは、時間と距離を超えて自分の直感を信じたことだろう。
多くの人は問題に直面したとき、無理であることを説明するロジックとか、できない理由(言い訳)とか、そんなものを持ち出すだろう。そのほうがラクだし、期待通りの結果を得られなかった場合の失望も回避できるからだ。でも、“失望を回避する代わりに失ったもの”が一体何なのか、その代償にもしっかりと目を向けたい。(自分の日々の行動への自戒の念も込めて)
なお、この記事は、取材力だけでなく、原稿を書いている記者のスピード感や省略具合が大変うまい。「人脈記」という連載記事。

■同僚が「MANNINGEN」というテレビ番組のことを教えてくれた。
世論調査型ゲーム番組」だそうで、視聴者が番組にケータイで参加する。最もフツー(多数派)の答えを選択し続けることができた視聴者を“MANNINGEN”と認定して、賞金をくれる。
誰もが「自分以外の人間の多くはどの選択肢を選ぶか」、つまり「どの選択肢が多数派になるか」という視点で選択をする。有り体に言えば、「空気を読む」ということである。もちろんこの番組は、アイロニカルなバラエティー番組なのだろうが、ジョークとはいえ、それを「真人間」と呼ぶことが気持ち悪い。
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/manningen/index.html

■今年夏ごろの日記に、「知多半島と伊勢志摩の旅館が、どの旅館であったのかは、10月号が発売される9月末にお書きします」と予告したのに書かずじまい。とても素敵な温泉宿なので、今さらながら書いておこう。冬は温泉の季節ということで。
知多半島は、「海のしょうげつ」。伊勢志摩は、「ばさら邸」。どちらも、こじんまりした別邸という雰囲気で、地元の鮮魚などを活かした創作和食や、温泉露天風呂付きの宿泊室やら、何もしない贅沢を満喫できそう。夏に取材で訪れた際は、どちらの宿でも、大変手厚くご協力をいただき、充実した取材となった。

http://www.basaratei.com/index.html
http://www.shougetsu.jp/sea/


■2ヶ月前くらいに見た、「蜷川実花 展」(東京オペラシティアートギャラリー)の感想をアップし忘れていた。これも今さらながら書いておこう。
会場にはカラフルで美しい写真が並ぶ。
気付いた特徴は、「極端にヴィヴィッドな色使い」と「人や花など一つのオブジェクトだけを浮き上がらせる手法」(具体的には、被写界深度を極端に浅くして背景をボカしたり、背景を青や赤など一色の色の壁面にして、被写体だけを浮き上がらせる)。
そんなわけで、“分かりやすい”アート写真という印象を受けた。
なぜ“分かりやすい”か。その理由を、二つ、思いつく。
一つは、鑑賞者が、その写真の中で何を見ればいいか、すぐ分かるから。例えば、反対に、アジェの撮った都市の写真などは、明確な一つのオブジェクトが写っているわけではない写真が多いから、一見、何を見ればいいのか、鑑賞者が分からない場合があるだろう。
もう一つは、(特にポートレート作品において)一般人が撮影する場合には簡単に用意できなさそうな手の込んだ非日常的な背景セットで演出がなされているから、「このポートレートはアートである」と峻別しやすい。例えば、反対に、森山大道が新宿の街角を撮ったブレボケ写真などは、一般人に一見「オレでも撮れるんじゃないか」と思わせてしまい、「この作品はアートである」と認識しにくい可能性がある。
つまり、もし、「明確なオブジェクトが写っていない」かつ「日常の風景の中で撮られている」写真作品となると、多くの鑑賞者が「どこをどう鑑賞すりゃいいんだ?!」という印象を受けてしまい、一緒に観にいった恋人や友人とも話が弾まない。なので、大衆化しづらい。けれど蜷川氏の写真はその反対で、大変分かりやすい。分かりやすいゆえ、鑑賞者同士で会話も弾むだろう。ただし、その会話で交わされる言葉は、「カワイイ」「キレイ」「すごい」の類ではないか(会場でそういう声を耳にした)。つまり、蜷川氏の作品の感想は、「簡単に言葉にできる」のであり、「簡単な言葉で語れる」ような印象を受ける。そして、蜷川氏の作品からは、「言葉で語りえぬ何か」は見出せなかった。僕の鑑賞力不足かもしれないが。

http://www.operacity.jp/ag/exh99/
http://www.ninamika.com/ja/index.asp