『意識』

■『意識』(スーザン・ブラックモア/岩波書店)を読む。
Oxford University Pressが発行しているVery Short Introductionsシリーズの邦訳。
 
意識とは何か、というシンプルで難しい問題を扱った一冊。
視覚や味覚や聴覚を通して僕たちの脳に入力される物理的な信号は、いったいいつどこで手触り、味わい、質感、好き嫌い、痛み、気持ち良さといったイメージ(意識への現れ)に変換されるのだろうか。その問題を「ハード・プロブレム」と呼ぶ。信号をイメージに変換する部位が、脳の中にあるのだろうか。
 
結局、訳者解説にも書かれているように、「現時点では、どのようにすれば、脳の活動から意識への現れを解明できるのか、まったく見当もつかない」。つまり、ハード・プロブレムは解決しない。けれど、本書には示唆的な研究結果やその分析が平易に披露されている。読後、ハード・プロブレムの解決へ、ほんの一歩だけ近づくことができた気分になる。
 
ハード・プロブレムは解決しないが、著者は本書の中で、意識を「役に立つ虚構」「役に立つ抽象物」と捉えている。僕も、生活実感として、著者のその見解に賛成する。では、その虚構を生み出す要因は何か。いくつか考えられるが、最大の要因は言語ではないだろうかと思う。
 
ところで、本書の中で意識として扱われているものは、いくつもの意味を含む。自我、クオリア、注意力、認識能力などだ。
自我という意味での意識について言えば、ヒントは96ページあたりにあるように感じた。こういう例が登場する。20世紀半ば、重度のてんかん患者の治療として、右脳と左脳をつなぐ脳梁を切断する手術が行われていた。すると、右半球には左側の視野にあるものが見え、左半球には右側の視野にあるものが見える。発話能力は左半球にあるから、右半球で捉えたものについて患者は言語で説明できない。そんな分離脳患者に、ある実験を行った。ぞっとする話かもしれないが、ちょっと引用しておこう。
「分離脳患者P・Sは、左の視野に雪景色を、右の視野にニワトリの爪を見せられ、手前に並んでいる絵のなかから見せられた絵に合うものを選ぶように求められた。彼は左手で(雪かき用の)シャベルを、右手でニワトリを選んだ。それぞれの脳半球が見ているものを考えれば、この選択は納得のいくものである。だが、選んだ理由を尋ねられると、彼は(つまり、発話を行う左脳は)こう言った。『ああ、簡単なことですよ。ニワトリの爪はニワトリにくっついているし、ニワトリ小屋を掃除するにはシャベルが必要でしょう』」
つまり、本人は、雪景色を見せられたことを意識しておらず、「言語を司る左脳は、作り話によって自分の無知を隠してしまった」わけだ。都合のいい作り話によって行動の整合性を取ろうとするこの主体こそ、自我(僕らが通常「私」と呼んでいるもの)ではないかと思う。
 
本書は、意識について考える枠組みやヒントを平易な文章で提供してくれる。意識ってなんだ、と一度でも思ったことのある人には大変オススメ。ちなみに、意識がなぜあるのか、なぜ必要なのかという話題に関しては、ニコラス・ハンフリーの著書『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』が大変面白い。

意識 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

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