『都市と消費とディズニーの夢』(速水健朗/角川oneテーマ21新書)を読む。

都市や消費社会に興味のある方には、とてもオススメの本なので、じっくり紹介したい。
 
あなたは、ショッピングモールに対してどういう気持ちを抱いているだろうか。
多くの人にそう問えば、答えは二極に分かれるのではないか。
まず、消費者の視点で見れば、ショッピングモールは便利で快適で楽しくて、もはやそれなしには暮らせない存在だ。つまり、生活実感に基づけば、肯定派。
一方、アカデミックな視点で見れば、ショッピングモールは商店街衰退の元凶のように見えるし(ただし、その認識が間違いであることは、本書の中で分析されている)、都市を平板化し、都市から意外性や猥雑さという魅力を奪っているように見える。つまり、理念的に考えると、否定派。
 
こうした生活実感に基づく肯定と理念に基づく否定の間には、対話が生まれにくい。両者が対話すると平行線をたどる(ちなみに、原発の存続に関する議論もこのパターンだろう)。
どうして両者は対話できないのか。
それは、僕らがショッピングモールを語るための言葉を持ち合わせていないからだ。
だから、まずは誰かが、ショッピングモールについて議論し考える場合に、どんな切り口とどんなワーディングで語ることが可能であるのかを提示してみせねばならない。
その作業をしてくれるのが、本書だ。著者は、「ショッピングモールファン」を自認しつつも、肯定にも否定にも与せず、ショッピングモールについて考えるための土台を提供してくれる。
 
それが、ざっくりした読後感だ。
 
もう少し詳しく言うと、本書は、消費活動を基軸にして変貌してきた現代都市を、「ショッピングモール化」という切り口で解析する本だ。濃密で読み応えがある。
幅広い論点に目配りしているため若干散漫な印象も残るが、むしろそれ以上に、現代都市の捉え方の可能性をいくつも提示してくれることが本書の魅力と言える。捉え方の可能性とは例えば、「テーマパーク」「ノスタルジー」「映画」「観光」「道路法規の変化」「人気業態の変化(百貨店から時間消費型施設へ)」「役所や病院に進出するスターバックス」などなど。
 
著者が言う「ショッピングモール化」とは、「公共性の高い場所が経済効率、収益性といった市場の原理で姿を変えつつあるという状況」(P.150)であり、その結果「都市全体が競争原理によって収益性の高いショッピングモールのようになっていく」(P.47)こと。競争原理を導入し、都市空間を効率利用して、公共性の高いスペースもできる限り収益源にしようというわけだ。著者が例示しているように、今や、駅、空港、サービスエリア、テレビ電波塔(スカイツリー)、テレビ局の本社ビルなどは、いずれもショッピングモール化している。また、地方にもショッピングモールやアウトレットモールが乱立している。著者は、ディズニーランド、六本木ヒルズ汐留シオサイトなどもショッピングモールの一種と捉える。その見方に賛成だ。
  
では、僕らの生活にあまりにも馴染み深くなったこのショッピングモールという発想は、いつ頃誕生したのか。本書は、その来歴にも切り込む。特に、ショッピングモールの着想の端緒をつくった人物として描かれるウォルト・ディズニー、ビクター・グルーエン、エベネザー・ハワードらのエピソードが興味深い。現在では、地元商店街の衰退といった都市問題を生み出しているかに見られがちなショッピングモールも、ウォルトやグルーエンらの初期構想においてはむしろ、「治安の悪化」や「古き良きコミュニティーの喪失」といった都市問題を解決するための方策だったのだ。
ショッピングモールは、都市問題をテーマパークの手法で解決するための施設だったわけだ。これは、発見であった。
 
それから半世紀以上を経た現在、「ショッピングモールは、業態で言えば不動産業、不動産賃貸業」(P.172)となっている。
思うに、百貨店が衰退し、ショッピングモール型の大規模開発が増加した背景の一つには、店舗で扱う商品の複雑さと変化の速さがあるように思える。百貨店が自前でセレクトしたり製造したりするのは難しい。ならば、商品の取り扱いは個々のテナントに任せ、開発者(不動産会社や鉄道会社)は場所貸しに専念するほうがリスクも少なく効率がいい。
 
本書を読みながら、都市がショッピングモール化しているというよりも、こう言ったほうがよいかもしれないと感じた。都市を投機の対象として大規模開発する場合、単一の主体(ディベロッパー)が巨大な敷地に巨大な複合施設を一気に計画し、建設し、大量の店舗を集積させ、一元的に運営管理せねばならない。その産物が、ららぽーと、ディズニーランド、六本木ヒルズ汐留シオサイト二子玉川ライズ、大阪ステーションシティスカイツリーエキナカなどの施設なのだ、と。そして、大企業が都市開発で金儲けを試みる場合、ショッピングモール以外の開発手法の選択肢は、おそらくないのではないか。
 
ところで、僕自身、ショッピングモールが好きかと聞かれたら、何と答えるだろう。「やや苦手。たまに行くとウキウキするが、毎週ここで買い物をするとなると、精神的にきつい」。そんな感じだ。
精神的にきついのは、なぜだろう。本書の中でウォルトの未来都市構想に関して言及されている「管理と排除」「バックヤードを見せない都市」という点が、苦手なのかもしれない。それに加え、おそらく、エドワード・レルフが『都市景観の20世紀』の中で語っている「多様性の中の退屈」「過剰なやらせ」「凡庸さと安っぽさ」も原因だろう。それなのに、僕自身、新しいショッピングモールがオープンすると一度は行ってみたいと思うし、六本木ヒルズエキナカ施設もけっこう好きである。こうしてショッピングモールが好きであっても、苦手であっても、その理由を明確に言語化するために、本書は大いに役立つ。
 
なお、随所に登場する映画の分析も、明快で示唆的だ。
 
最後に。
本書を読みながら、オランダの建築家、レム・コールハースの著書『錯乱のニューヨーク』を思い出した。本書に興味のある人は、こちらもオススメ。『錯乱のニューヨーク』が書棚のどこかに紛れてしまったので、うろ覚えの記憶で恐縮だが、これはたしか、マンハッタン付近の島の遊園地で展開されたスペクタクルと消費の論理が、マンハッタンを覆い尽くすまでのプロセスを描いた本だった。その延長線上に、本書で語られる、世界の先進都市を覆い尽くすショッピングモールがある。