「食べる」という行為は

10年くらい前から、思っているのだけれど。

「食べる」という行為は、実は、非常にグロテスクで野蛮で卑猥な行為なのではないか。
それは、排泄や性交ほどではないにせよ、おそらく正視に耐えないほどグロテスクであると思う。

たとえば、あなたが、他人が食事をしている姿を一瞬(1、2秒程度)見るだけならば、それはさほどグロテスクな行為には見えないだろう。だからこそテレビCMで、フライドチキンを口に入れるシーンやカレーを頬張るシーンがある。
では、食べるという行為がグロテスクに見えるのは、どんな場合か。それは、あなたが、数分間に渡って他人がものを食べる姿を凝視する場合だ。思い出してみてほしい。おそらく、あなたは、他人が食べる姿の一部始終を凝視した経験はないだろう。たとえ家族でさえ。
  
人が、食べものを口に入れ、咀嚼し、飲み込む。他人がするこの一連の行為をあなたが凝視する時、あるいは逆に、あなたがするこの一連の行為を、他人に凝視される時。きっとあなたは恥ずかしさに耐えられない。グロテスクで野蛮な行為をしているという恥ずかしさに。
  
では、私たちは毎日、数回の食事をしているのに、なぜ日常の食事の場面でそのグロテスクさが露呈しないのか。
それは、私たちがものを食べている時、たいていの場合、まわりの人々もものを食べているからだろう。だから、あまり他人の食べている姿を凝視しないで済むし、お互いに食べているのだから、恥ずかしさが緩和される。
  
また、野菜や穀類を食べるシーンと比較すると、おそらく肉や魚といった生き物を食べているシーンのほうが、いっそうグロテスクだろう。
 
それでも私たちは、毎日食べなくてはならない。そして、食べることは多くの人にとって、幸せの一つだろう。(^ ^)