「淋しさ」という感情は

少々、考え事。
   
「淋しさ」という感情は、具体的な人物を想定することなしに、生じ得ない感情なのではないだろうか。
つまり、漠然とした「淋しさ」というものは存在せず、「淋しさ」は常に、「ある特定の人物が、居て欲しい場所に居ない」という具体性を伴って生じる感覚なのではないか。
 
原稿作成で頭が疲れたので、休憩しながら、取り留めもなく、ぼんやりと考え事をしていたら、なぜか、そのようなことを思い至った。
 
例えば、仮に、今あなたにとって、最愛の恋人や伴侶や、あるいは愛する誰かが、特に居ない状態だと想定してみよう。その時に、漠然とした「淋しさ」は生じるだろうか。
そのように具体的な誰かの顔が頭に浮かばない状態であれば、おそらく、「いつ結婚できるか分からない不安」「老後も一人だったらイヤだなあという不安」「カップルが多い場所に出掛けづらいという不満」「つまらなさ」「味気なさ」などは生じるかもしれないが、「淋しさ」は生じないような気がする。
 
では、最愛の恋人や伴侶や、あるいは愛する誰かの顔が、すぐにあなたの頭に浮かぶ状態であれば、どうか。かつ、その人物が、「居て欲しい場所」(それはおそらくあなたの隣)に居ない場合は、どうか。
この時に湧き上がる感情が、「淋しさ」なるものの実態なのではないだろうか。
そんなことをふと考えた。
 
 
とはいえ、このような話には大いに個人差があるだろうし、そもそも、感情を表す言葉は、その意味の輪郭が曖昧であるから、一概には言えないだろう。それゆえ、より多くの方々の意見を伺ってみたい。(^^)