辻村久信さん CCハウス 堀内功太郎さん

1月号の大きな特集の制作をしていたり、年末で入稿スケジュールが前倒しになったり、自宅パソコンが不調になったりで、更新が1カ月半も空いてしまった。
その間の出来事を、順不同で徐々にアップしていこう。

■辻村久信さんとムーンバランス吉里さんにお話をうかがう。ブティック「FATラフォーレ原宿」のお話を中心に、辻村さんの日頃のデザインフィロソフィーについて。自分でコントロールしきれない自然素材(和紙や木など)が好きだとおっしゃる辻村さん。オンラインショッピングが当たり前になっていく時代に、質感、奥行き感、手触りなどに、リアルな店舗空間に足を運んでもらうことの意味を見出されているようだ。
http://www.tsujimura-hisanobu.com
http://www.fatyo.com/main.html

■オリエギャラリーにて、吉村靖孝さんの「CCハウス」展を見る。模型、図面、書類、原寸のプランなどを使い、「CCハウス」という新しい提案を丁寧に説明しようとする充実した展示。
通常、建築家に設計を依頼する際は、特定の敷地に一度限りのオーダーメイドで設計してもらうわけだが、「CCハウス」はセミオーダーのような住宅設計の提案。建て主が建築家から図面の使用権を買い取り、ある程度の改変をその図面に加えて、住宅を建設することができる。
吉村さんは、一貫して広義のアーキテクチャーから建築や都市を考えているように見える。都市景観や建築物は、設計者やクライアントの意志によって決定されているというより、建築関係の法規(都市計画法建築基準法)や著作権といったシステム(アーキテクチャー)によって決定されてしまう部分が大きい。だから、それらのシステムに着目し改変することが、都市景観や建築物のデザインを改変する一つの手段になる。そういう発想のようだ。
「建築家に自宅の設計を依頼したいが、フルオーダーでなくてもよい」と考える人がどのくらいいるのか分からないが、こうした取り組みには興味があるので、CCハウスの提案が一般の人々からどんな反応を得るのかとても楽しみだ。
ちなみに、CCはクリエイティブ・コモンズの略。ローレンス・レッシグの著作も日本で多く翻訳されているから、クリエイティブ・コモンズという概念も少しずつ認知されてきているかもしれない。そういえば先日、森美術館へ行ったら、クリエイティブ・コモンズの規定に則って展示作品の写真をブログなどで公開してよいことになっていた。

http://www.ysmr.com/cche/
http://www.orie.co.jp/exhibition/images/C-C-HOUSE.JPG


【ここから追記 0:30 2010/12/22】
一つ気になったことがある。それは、「CCハウス」よりも、今まで吉村靖孝さんが設計されてきた建物のほうが、魅力的に見えるということだ。(むろん、それぞれ敷地条件やプログラムも違うし、「CCハウス」の現物が建ったわけではないから、一概には比較することはできないけれど、直感的にそんな印象を受けた。)
ということは、少し飛躍して結論するなら、一般解としてつくった住宅(CCハウス)よりも、個別解としてつくった住宅(例えば「NOWHERE BUT SAJIMA」「HOUSE OF EAVES」など)のほうが魅力を持っている可能性がある。そして、その魅力ゆえ、個別解としてつくった住宅のほうが、一般解としてつくった住宅よりもむしろ普遍性を得るのではなかろうか。たとえば、「9坪ハウス」のように。
9坪ハウスは、建築家の増沢洵さんが1952年に自邸として設計した実験的な最小限住居だが、半世紀くらい後になって、9坪ハウスは、そのエッセンスを残しながら現代の設計者たちによって改変されて、10パターン以上の「9坪ハウス」が製品として販売されている。
http://www.9tubohouse.com
つまり、「CCハウス」の試みとして必要なのは、CCハウスのためのプロトタイプとなる住宅を設計するよりも、具体的なクライアントのために具体的な敷地に建てられた住宅にも、ある条件を満たせばCCハウスのような「改変&再生産の権利」を販売可能にする仕組みかもしれない、と感じた。当然、その場合、そのオリジナルの住宅のほうに住んでいる施主は、あまりうれしくないだろうから、「改変&再生産の権利」が販売されることを拒否するかもしれないが。。。
いずれにしても、少なくとも、こうしたことに思いをめぐらせるきっかけを提供する「CCハウス」展はとても面白い。おすすめの展覧会です。
【ここまで追記】


■ナカサ&パートナーズ繁田さんが来社され、最近撮影されたお写真を見せていただく。プロセスまで分かりやすい写真で記録した「仮設茶室」など、面白い作品の写真をいくつも。

■パリをベースに設計活動をされてきた堀内功太郎さんが来社され、近作のお話やこれまでの経歴などをうかがう。
パリにオープンするチーズを主体としたダイニングは、明快な造形と強いビジュアルイメージ。
来年から東京をベースに活動されるそうで、今後のご活躍もとても楽しみ。
http://kotarohoriuchi.com

■全体会議。この1年間の状況について各部からの報告を聞く。

■t.c.k.wの中山さんにお会いし、新製品の「絹布紙」のサンプルを見せていただく。箱に入った豪華なサンプル。
「絹布紙」は、絹織物を使った壁紙で52色もある。絹織物は、長野の工房で職人のご家族が手作りしているそうで、質感たっぷり。住宅や旅館の空間によさそうだ。
そして、職人技術を現代のデザインで活かしてほしいという中山さんの熱意もうかがう。人に元気を分け与えてしまうトークは、中山さんの素晴らしい才能だ。
http://tckw.jp/index.php
http://ubushina.com/japanese
http://www.ubushina.com/japanese/kinufushi.html


ラフォーレ原宿内のブティック「FAT」へ。
天井が高い空間。可動什器。一瞬でブランドイメージと扱っている商品がイメージできる、力強く明快なデザイン。
円柱のオブジェは、金属製のようにみえるのに、近づくと樹木のようなテクスチャーになっている不思議なデザイン。
可動什器には、LED照明も仕込まれている。
設計は、辻村久信さん+ムーンバランス。
http://www.fatyo.com

■表参道のジュエリーショップ「4℃」へ。外壁にLEDパネルが設置されており、映像が流される。昼はミラーとして街の景色を写し、夜はデジタルサイネージとしてブランドロゴやイメージ映像を流す。(厳密に言えば、昼も映像が流されているのだが、あまり良く見えないので、ミラーのように見える)
設計は、トネリコ米谷さん。
http://www.fdcp.co.jp/
http://www.tonerico-inc.com/
http://www.tonerico-inc.com/shop/4c_omotesando/index.html


■『よくわかる 大人のアスペルガー症候群』(梅永雄二監修/主婦の友社)を読む。
一説によると日本では、アスペルガー症候群高機能自閉症)の人が200人に1人くらいの割合でいるそうだから、軽微な人も含めるともっと多いかもしれない。ということは、誰もが学校や職場でこれまで何人かのアスペルガー症候群の人たちに出会っていても不思議はない。なのに、おそらくアスペルガー症候群という症候の中身は多くの人に誤解されているであろうし、また、アスペルガー症候群の人の言動も周囲の人々に誤解されてしまいがちなようだ。
一方で、アスペルガー症候群の人々は、知能にはさほど問題はなく、むしろ特定の分野に関しては高い記憶力や集中力を発揮するので、いい成績をおさめる場合も多く、かえって症候に気づかぬまま大人になり社会に出てしまう場合も多いという。
アスペルガー症候群について正しく知っておくことは、とても大事であるように思える。

本書は、タイトルどおり、大人のアスペルガー症候群のことがよくわかる一冊。同じ内容の記述が若干繰り返されているのが気になるが、とはいえ、文字数をコンパクトに抑えながら要点をうまく伝えている。図版が多いのでリラックスした気持ちで読める。全体を通して優しく前向きなスタンスで書かれており、周りの人が彼らとどうつきあっていけばよいのかという解決法も具体的にたくさん提案されていて、とてもいい本だと思う。

アスペルガー症候群の特徴は、本書によると、以下のようなことが挙げられる。
「他人の表情や様子などから相手の感情を読み取ることが苦手」
「言葉の表面的な意味しか理解していない」
「言葉の裏側の意味を想像し理解することができずに誤解してしまう」
「好きなゲームや話題について話しだすと、止まらなくなることがあります。周囲の人がゲームの話に興味があろうが無かろうが話し続けます」
「活動や興味の範囲が狭くこだわりが強い」
「上司やお客さんに対しても友達のような口をきいてしまう」ことがある。
「常に自分は正しい、ルールを守れない相手が悪い、と思いがち」

そうしたことから、本人はいたって真面目で悪気はないのに、仕事や友達づきあいの場でコミュニケーションに関するトラブルを招いてしまう。それを繰り返した結果、いじめられてしまったり自信をなくしてしまったりすることも少なくないそうだ。
しかし、本書には「アスペルガー症候群の特性は、よくなったり直ったりすることはありません」と書かれている。ならば、周囲が彼らに合わせて、配慮したコミュニケーションをしてあげるしかない。その際のヒントも分かりやすくたくさん書かれている。
もちろんアスペルガー症候群だからといって、その人の言動をすべて症状に結びつけてしまうのは本人にも苦痛を強いてしまう。気をつけねばならない。
一方で、こうした本が多く読まれ、症状への理解が深まれば、もう不必要に彼らを傷つけたり怒鳴ったりしてしまわずに済むはずだ。そして、もっと穏やかに彼らと付き合っていくことができるだろう。優しく理解のある眼差しをもって接してあげることができるかもしれない。
また、具体的な対処法としては、本書にも書かれているように、指示は口頭だけでなくメールでも伝えたり、微妙なニュアンスを含む表現は避け具体的な言葉選びをして話すなど、いろいろ工夫することもできる。あるいは、抽象的なイメージが必要になる観念的な議論は避けて、個別のケースについて一つずつ話してあげるなど、気をつけられることがいくつもある。

最後に一つ。僕の上記の書評に対して以下のような疑問を持つ人がいるかもしれない。「なぜ、そもそもオレたちがアスペルガー症候群の人に合わせてコミュニケーションしなくちゃならないのか」と。
それに対する僕の答えは、こうだ。すべての人は、疎外されずに生きる権利がある。例えば、生まれつき発達障害を持っている人でも、病気で臓器に障害を持つ人でも、不慮の事故で身体の一部に障害を負った人でも、すべての人は、期せずして負ってしまった障害を理由に生きづらさを強いられてはならない。車椅子の人が移動しやすいように街から段差を排するという物理的なバリアフリーが重要であるのとまったく同様に、アスペルガー症候群の人に対しては彼らが生きやすいように彼らの特性を考慮したコミュニケーションをするという精神的なバリアフリーも重要だ。つまり、「合わせられる人」が「合わせられない人」のほうに合わせるべきだと思う。
ちなみに、もう一段掘りさげれば、「ではなぜ、そもそもすべての人は疎外されずに生きる権利があるのか」という疑問もあるかもしれない。しかし、その権利に理由などない。いわゆる定言命法なのだ。