『隠れた脳』(シャンカール・ヴェダンタム/インターシフト)を読む。

隠れた脳

隠れた脳

抜群に面白かった。
サイエンスライターによる、人間の無意識を扱った本。
エキサイティングで引き込まれる実験や事例の数々。読者にとっても他人事ではない、バイアスに関する示唆的な考察の数々。
人間の認知、無意識、行動科学などに興味のある方には、最高にオススメの一冊だ。
 
「隠れた脳」とは、「気づかないうちに私たちの行動を操る様々な力」(p.11)、「無意識のバイアス」、「ヒューリスティックを担当する脳の部分」などのことを指している。「隠れた脳」のおかげで、僕らは、多くのルーチンワークを意識せずにこなすことができ、僕らの脳は省エネできる。しかし一方で、「隠れた脳」のせいで、僕らは、気づかぬうちに非合理な判断をしたり、非倫理的とも言える行動をしたりしてしまう。本書は、興味深い実例から、そのことを示す。
 
「第6章:集団のバイアス」によれば、人々は大きな集団に属しているとき、行動や判断が鈍る。逆に、「第7章:つながりのバイアス」によれば、人々は小さな集団に属しているとき、世間とズレた異常行動の異常さをセルフチェックできなくなる。
特に、小集団に属す個人に生じる強いバイアスについては、日本の読者も多くの事例が頭をよぎるだろう。あさま山荘事件、カルト集団によるテロ事件、相撲部屋の力士暴行死事、検察の不祥事などなど。いや、一企業に属する自分自身も該当するかもしれない。アメリカで出版された本の訳書だが、日本で暮らす僕らも、大いに当事者意識を持って読むことができる。
 
それにしても、一般的には、日本人に比べアメリカ人の方がはるかに個人の意思や独立性を重んじる国民性を持っているように見えるにも関わらず、そのアメリカ人でさえ、これほど無意識のうちに同調圧力のバイアスに屈しているとは、少々驚きである。ならば、日本人が、どれほどのバイアスに屈しているのか。推して知るべしかもしれない。
 
特に、「第8章:数のバイアス」は、抜群に面白い。銃の所持率や自殺者数の関係を統計的に検証し、人々の通念の誤りをあぶりだす。
銃を自宅に所持しておくことによって、外敵から身を守れるので、リスクを軽減できる。人々は通常、そのように考えている。だから銃を所持するわけだ。ところが、実際には、銃を所持することで、リスクは増大する。なぜなら、外敵から殺されるリスクよりも、銃によって家族や自分自身を殺す確率の方が高いからだ。その事態を著者はこう説明する。「コントロールしているという感覚を、安全と錯覚する」(p.231)。
余談だが、ここ10年以上に渡り毎年3万人以上が自殺し続ける日本が、もし銃社会であったら、いったいどれほどの自殺者が出るのだろうかと、考えてしまった。
 
こんな示唆的な実験と考察が次々登場する。読むのをやめられらなくなる。
翻訳もすごくうまいと思う。とても自然な日本語だ。思わず、訳本を読んでいることすら忘れる。

なお、こうしたバイアスの働きを知った後も、僕らはバイアスから逃れることはできない。けれど、バイアスの働きを知れば、自分がくだそうとしている判断に対して「この判断はバイアスに歪められているかもしれない」と思い直し、再吟味することができる。その効果は計り知れないほど大きいのではないか。あるいは、「バイアスの働きを知れば、バイアスの働きを自己チェックできる」と安心する発想自体が、まさに、「コントロールしているという感覚を、安全と錯覚する」というバイアスの産物だろうか。
いずれにせよ、サービス精神と気付きにあふれた、素晴らしい本だった。