インタラクティブアート 中目黒 卓球ラウンジ

■青山にて、とあるインタラクティブアートの作家さんに取材。
「人々が無意識にモノに刻印してきた痕跡」に着目し、それを媒体にして、人と人、あるいは人とモノを繋いでいく。今後の展開が非常に楽しみ。

■中目黒の「卓球ラウンジ」にて、フリー編集者、グラフィックデザイナー、ウェブデザイナー、映画やドラマのディレクター、カメラマンなどの皆様と会合。リブ・タイラー似のグラフィックデザイナーさんは、僕の愛飲している「オーシャンスプレー クランベリーオリジナル」のパッケージなどをデザインされていて、びっくり。
「卓球ラウンジ」は、中目黒から徒歩2分くらいのマンションの2階。中央に卓球台が1台あり、それを囲むようにソファやテーブルが並ぶ。広い友人の家に来たようなリラックスできる空間と、スタッフと客の適度な距離感が気持ちよく、4時間半くらい居てしまう。飲んで食べて、一人5000円強。家庭的な料理が良い。客が交代で卓球台を使い、ほどよく賑やか。
風邪の発熱で、あまり突っ込んだ話ができなかったが、少し卓球をしたら汗ばみ、熱が下がったようだ。
ぜひ、また行きたいお店。

http://www.oceanspray.jp/
http://www.mfs11.com/nakame/nakame.html


仕事で必要になり、『博士の愛した数式』を読む。

老数学者と、家政婦母子の物語。
終始、穏やかな空気が流れている。
おそらくその穏やかさの要因は、この小説が、“発信することの天才”にではなく、“感受することの天才”にスポットを当てていることによるだろう。(主人公が「女性・子供・老人」というマジョリティーでない存在であることも、穏やかさの一因かもしれないが。)

一般的には、“感受”する人より、“発信”する人のほうが、偉く見えたり、目立ったりする。たとえば“滔滔と発言する人”は、“じっくり耳を傾ける人”よりもポジティブな存在に見えるだろう。

けれど、作中の数学者は、既にそこに存在する普遍的な真理を受信するかのように、数学の問題を解いていく。また彼は、母子からプレゼントをもらい感謝をする場面でも、「もらうことについては博士は素晴らしい才能の持ち主」と描かれている。作中の子供もまた、ときに母親以上に、博士の心情などを鋭く察知し感受している。

かつて鷲田清一氏が著書『「聴く」ことの力』の中で、「受動や受容ということがもつポジティヴな力、それをわたしもまた人間という存在にとって本質的な力であると考え、それをこれまで〈聴くことの力〉として検証しようとしてきた」と書いていた。『「聴く」ことの力』を小説の形式で表現すると、本書のようになるのかもしれないと感じた。

喋り、発信し、書き、プレゼンテーションし、アピールするというようなことに疲れた人に、お奨めの一冊です。