『他者と死者』(内田樹/文春文庫)を読む。

とても気に入った本。日頃のビジネスで硬直してしまった脳を揉みほぐしたい人に大変オススメの一冊。
 
本書に限らず常に、内田樹さんはおそらく、「何か」について考えるというよりもむしろ、「何かについて考える際の考え方」について考えている。あるいは、「何か」について語るというよりもむしろ、「何かについて語る際の語り方」について語っている。内田樹さんの著書を読むと、いつもそんな感覚を味わう。内田さん自身が好んで用いる表現で言うなら、それは、思考の次数を1次元繰り上げるような考え方であり、語り方だ。そんな内田樹ワールドが本書でも全開だ。
 
本書は、タイトル通り、レヴィナス哲学に依拠して、「他者」について考えた本。本書で言う「他者」は、僕らが手持ちの言語や思考法で既知に還元できるような、「おのれの似姿」や「自我の想像的変様態」に過ぎぬ程度の「他者」ではない。そうではなく、僕らの想像を超えた圧倒的な他者だ。SF小説に例えるなら、「惑星ソラリス」に登場する知的な惑星みたいなものだ。同じくSF小説で、テッド・チャンの「あなたの人生の物語」という作品の中に、「ヘプタポッド」と呼ばれる宇宙人が登場する。ヘプタポッドと地球人は当初、会話が通じないが、徐々に地球人は翻訳らしきことが可能になるので、ヘプタポッドですら、想像を超えた圧倒的な他者ではない。
 
話を戻そう。本書で語られる「他者」は、想像を超えた圧倒的な他者だ。著者の言葉で言えば、「意味を持っているが、対象として十全的には把持できないもの」(p.203)である。
そういう他者とのコミュニケーションをする際の姿勢を、本書は僕らに教えてくれる。
 
他者の例として俎上に上がるのは、「師弟関係」や「死者」。
 
「師」とは、どんな存在か。「『私には知られていないゲームのルール』を知っていると想定された人間、それが『師』である」そうだ。つまり、師匠の中身がスゴイから師弟関係が成立しているのではなく、師匠の中身は、俺には汲み尽くせないほどスゴイに違いない、と弟子が勝手に仮想するから成立しているわけだ。
では、そんな師匠から弟子は何を学べるのか。「弟子が師から学ぶのは実定的な知識や情報ではない。聖句から無限の叡智を引き出すための『作法』である」(p.53)。
そして、こうして師から学ぶことで、僕らは、「『他者』との出会いの原基的形態を経験する」(p.55)。
 
「死者」に関しても、基本的な付き合い方は同様だ。僕らが手持ちの言語や思考法で既知に還元して語っては、死者にアプローチできない。本書の言葉で言えば、死者に対して「生者たちの公用語」である「存在論の語法」で語ってはいけないのだ。
 
「他者」や「死者」に関して、手持ちの言語や思考法で既知に還元して理解しようとする人のことを、本書は「独学者」と呼ぶ。「独学者」は、「出会うすべての他の人々のうちに、自我の想像的変様態だけしか見ない」(p.106)ので、「おのれの似姿で世界を充満させることしかできない」(p.97)。そういえば、先日読んだ『俺俺』(星野智幸/新潮社)という小説も、まさに自分の似姿である「俺」が世界を埋め尽くした挙句、最後に「俺」が「俺ら」を全滅させ、その後に「俺」が新たに他者らしき人々とのコミュニケーションを始めるという話だった。
 
また逸れた。話を戻そう。
僕らが「独学者」であっては、他者による「外部からの召喚」に対して、「おのれの外部へ身を乗り出す」ことができない。これが、本書が僕に与えてくれた最大のメッセージ。
繰り返しになるが、つまるところ本書は僕らに、「他者とは何であるか」を教えてくれるのではなく、「他者とのコミュニケーションの仕方」を示唆してくれる。その意味で、本書を読むにあたって、まさに読者は著者と「師弟関係」を結ばねばならない。
 
最後に一つ余談。
本書前半に、とてもハッとする一文があった。
「タルムードのテクストは『完全記号』であり、そこから汲み出されうる意味に限界はない。しかし、無限の意味を汲み出す仕方は限定されている」(p.42)。
これは、一見複雑な理路に見えるかもしれないが、自分の仕事に引き付けて考えると、大変腑に落ちる。僕の主業務の一つは、雑誌のための企画立案。毎月の企画会議で2、3本の企画案を出す。けれど、企画を立案する際、滅多矢鱈に企画の内容自体を考えようとすると、アイデアは早晩枯渇するか、もしくは、毎月のように似たようなマンネリ化したアイデアを出すことになる。では、どうすべきか。企画を無限に生み出す方法を幾つか方程式化しておけばよい。そうすれば、半永久的に無限に企画を生み出すことが可能だ。ポイントは、「企画」を考えるのではなく、「企画の考え方」を考えること。そして、「企画の考え方」は、おそらく無限にあるわけではない。数えられる程度だ。だから、先のセンテンスに即して言えば、「無限の企画を生み出す仕方は限定されている」。

ラカンによるレヴィナス 他者と死者 (文春文庫)

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