『俺俺』

こんにちは。

■『俺俺』(星野智幸/新潮社)を読む。

正規雇用などで働く安定しない現代の若者たちが、本作の中心的な登場人物だ。描かれている彼らの苦悩の内容が少々紋切り型に感じられたので、途中で読むのをやめようかと思ったが、最後まで読んでよかった。


彼らは、自分のことを他人と取り替え可能な存在であると感じて苦悩する。また、個性的でありたいが目立ちたくはないと感じて苦悩する。あるいは、日頃は同僚や友人に合わせながら適切な“キャラ”を装って喋っているが、本当の自分はこんな人間ではないと感じて苦悩する。(そういえば、ちょうど先週、朝日新聞の朝刊で連載されていた「よそおう」という連続記事でも、こんな若者が取材対象となっていた)
そんなステレオタイプ化された若者像が描写されるのだが、彼らの会話に妙にリアリティーがあり、読みながら、「僕も作者も、あるいは同年代の人々も、ほとんど区別のつかないような同じような生活を送っているのではないか」と感じる。20代、30代の人々が本書を読めば、「あるある」と共感するシーンが少なくないだろう。


しかし、「あるある」だけでは、小説は物足りない。そう思っていると、終盤で、まったく予想もできなかった急展開を迎える。思わず「えぇ〜!」と声をあげてしまうほど。よく作家が「登場人物たちが勝手に躍動し始めたので、その流れに筆を任せて書いた」という主旨の執筆感覚を語ることがあるが、この急展開も、そんなふうに登場人物たちが作者の中で暴走したのではないか。その暴走のおかげで、この小説は、たんなる何かの比喩に回収して読むことを許さないような、小説そのものの強度を獲得しているように見える。
でも、その上で敢えて比喩的に解釈してみると、以下のように読めた。この小説にはたくさんの人間が登場するが、実は、一人の人間が引きこもっていき、徹底的に排他的になり孤立した挙句、やがて再び他者との接点を求めて社会に少しずつ出てみる。そんな引きこもる一人の人間の心のプロセスを描いているのではなかろうか。


現代版『蟹工船』と言ったら、言い過ぎか。とにかく終盤の筆致はすごい迫力なので、そこまで我慢して読んでいただきたい一冊。


ところで、読みながら、吉田拓郎の曲「どうしてこんなに悲しいんだろう」の歌詞を思い出した。
〜以下、「どうしてこんなに悲しいんだろう」の歌詞から引用〜
  これが自由というものかしら 自由になると寂しいのかい
  やっとひとりになれたからって 涙が出たんじゃ困るのさ
  やっぱり僕はひとにもまれて みんなの中で生きるのさ
  ひとの心は温かいのさ 明日はもう一度触れたいな
  独り言です 気に留めないで 時にはこんなに思うけど
  明日になるといつものように 心を閉ざしている僕さ
〜ここまで引用〜


俺俺

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