ある喫茶店の心地よい場末感。

1月某日

平日の午前中に仕事で両国へ。時間が余ったので、駅前のホテルの1階に位置するベーカリーカフェ(夜はレストラン)らしきお店に入る。この店に、都内の駅前とは思えないような場末感が漂っていた。しかし、それは、大変に心地よい場末感であった。ヨーロッパの街角の喫茶店に似た空気すら感じた。

まず、入り口の照明が薄暗く、開店しているのかどうか分かりにくい。店内に入ると、ピアノ協奏曲が流れていたが、BGMにしては音量は大き過ぎる。テーブル席が50席くらいあった。店内は汚くはないが、オシャレでもない。宿泊客と思しきおじさんが一人、隅の席で新聞を読みながら朝食を食べている。
席に着くと、店の奥から、標準的な喫茶店の制服を着た20代中ごろと見える女性店員が、メニューを持って現れた。コーヒー(530円)を頼むと、1分くらいで出てきた。早い。彼女は特に笑いもせず、かといって、ぶっきらぼうでもなく、いたってニュートラルな表情で、コーヒーをテーブルに置いた。もちろん「お待たせいたしました」「ごゆっくりどうぞ」などのマニュアル化されたセリフは言わない。

帰り際、テーブル会計をしようと、先の店員さんに「お会計おねがいします」と声をかけると、レジのほうを指差し、「あっちで」と言われた。謝るでもなく、恐縮するでもなく、いたって当たり前のように、そう言った。仮にもホテルの1階にあるカフェなのに、テーブル会計をさせないのである。特に、その時の店内は、客が二人に店員が二人だったので、マンツーマンで対応ができる。それでも、テーブル会計はさせないのである。この潔さは、むしろ心地よい。必要最低限のことはきちんとする。それ以上のことは特にしないのだろう。

結論を言えば、この店の接客に、好感を持った。
この好感と脱力感を合わせて、「場末感」という言葉がこの店のサービスに合うのではなかろうか。

この「場末感」とは、「発展や拡大をしていく意志が感じられない」と言い換えてもいい。そう言うと悪く聞こえるが、「発展や拡大をしていく意志」は必ずしも良いものではない。例えば、コンビニやファミレスの店員さんが頻繁に使う過剰な敬語やマニュアル化された鬱陶しい“気遣い語(ごゆっくりどうぞ、の類。私の造語です)”は、客に嫌われずリピーターとなったもらいたいという、店舗を「発展・拡大させていこうとする意志」に起因するだろう。(個々のアルバイト店員がそういう意志を持っているかは分からないが、少なくとも運営者がそういう意志を持っているから、“気遣い語”などが教育されるのではないか)

しかしこの店では、「発展・拡大させていこうとする意志」が過剰にドライブしないから、スタッフが過剰な“気遣い語”を使う必要もない。そのため、スタッフの人間性が消えていないし、スタッフは客を程よく放っておいてくれる。それが、心地よい距離感を生んでいる。

因みに、トイレはキレイ。さすがホテルの1階。

両国に行ったら、また寄ってみたい。