『感光生活』

『感光生活』を読む。

15の作品で構成された短編集。全編を通して、一見平板で誰もが体験しているような日常の風景や出来事が描かれる。

しかし、小池氏も私(読者)も同じく体験したことのあるような出来事が描かれているからこそ、「そのときに小池氏は拾い上げたが、私(読者)は拾い上げることができなかった何か」が鮮明に浮かび上がってくる。その「何か」は、「クオリア」みたいなものだ。

例えば、知人がときたま見せる「虚無的な無表情」(P.209)を見て、ドキッとしたり、怖くなったり、その人の背景に一瞬思いを馳せたりすることがある。こうした反応の仕方に関しては、小池氏だって私(読者)だって、おそらくそんなに変わらないだろう。つまり、「知人の虚無的な無表情」という出来事に対して、人は誰でもただそれをメカニックに知覚するだけではなく、その瞬間、その出来事に対して何らかの感覚も持つ。この「感覚」が、クオリアだ。

けれども通常、私は、「知人の虚無的な無表情」という出来事自体は覚えていても、そのとき感じたクオリアは一瞬で忘れてしまっている。そして、そのとき何かを感じていたことすら、すっかり忘れている。でも小池氏は、そのクオリアを記憶して言葉にしている、あるいは、言葉にして記憶している。

だから本書を読むと、「そうだ、自分も日常生活の中で出会う些細なこと一つひとつに対して、つねに、少し喜んだり、少し恥ずかしくなったり、少し頭にきたり、少し物思いに耽ったりしているんだ」と思い起こさせてくれる。

もちろん僕たちは、「少し喜んだり、少し恥ずかしくなったり」をいちいち意識したり記録したりしていては日常生活も仕事もできないから、こうした「些細な出来事に対する些細な感覚」はどんどん忘却していく。その忘却に気付かせてくれるのが、小池氏の小説の最大の魅力だと感じた。読み進めるたびに、心の襞がわずかながら深くなっていくような独特の充足感に満たされる。

感光生活 (ちくま文庫)

感光生活 (ちくま文庫)