大阪出張 ブリーゼブリーゼ 赤ちゃん

■金曜、編集会議。今後の担当物件の確認など。自分も含め、珍しくメンバー全員がやや精彩を欠く印象。
入稿作業などでオフィスワーク中心。

■大阪へ出張。品川駅の書店で『趣都の誕生―萌える都市アキハバラ』(森川嘉一郎)の文庫版を見つけたので、購入し、行きの新幹線で読む。
増補された第6章で、非アキバ系のビル群「秋葉原クロスフィールド」以上に、メディアでのアキバブームが秋葉原を非アキバ化したという指摘があり、興味深く読む。

■ブティック「ラフシモンズ」を見る。アート作品のような空間で、店内に入っても空間の輪郭がつかめない。
商業ビル「ブリーゼブリーゼ」を見る。吹き抜けには、3フロア分くらいの巨大な操り人形のようなキャラクターが置かれている。動いているときは、つい立ち止まって見てしまうが、動きが止まっている時間が、妙に切なく見える。3F「マリン&ゴッツ」のショップを見る。男女問わず、フェイスケアやヘアケア用品を売っているが、どんな客層が購入するのだろうか、興味がある。
http://www.breeze-tower.com/
http://www.breeze-breeze.jp/
ANAクラウンホテル」を見る。両立が難しそうなシンプルとラグジュアリーの二つの要素が、両立している印象。もう少し重厚感のあるイスを置いてもよいかもしれない。
http://www.anacrowneplaza-osaka.jp/
朝日放送新社屋を見る。日没後だったので、庭園の生き生きした感じが掴めず残念。日中はきっと楽しそうな空間だろう。連続する敷地内の和食店「笹次」などを覗く。お客さんの入りがいいように見えた。
歩いてホテルへ戻る。大阪の街のコンパクトさが好きだ。

■仕事でお世話になった映画&DVDの販売会社の方とお食事。決して勢いで話すことなく、一つひとつの出来事をていねいに思い出しながら、ゆっくりと自分の言葉で語る、とても素敵な人で、あっという間に時間が過ぎる。
医院をリノベーションした鍋の店。出汁がとても美味しく、最後はラーメンを入れて満腹。大阪駅から徒歩7、8分。
大阪もこの週末でぐっと寒くなったようだ。

■朝から夜まで、豊中産婦人科クリニックの撮影。
設計者さん、オーナーさん、カメラマンさん、アシスタントさんの驚くほど多大なご協力を得て、充実した撮影を完了。従来の病院のイメージと異なる、明るさ、華やかさ、軽やかさ、ホテル風の特別感などを写真で表現できたのではないかと思う。
産婦人科なので、院内には「オギャー」という泣き声が響き、新生児室では生まれたばかりの赤ちゃんが眠っている。それを聞いたり見たりしていたら、撮影中なのに、感覚と記憶の交差する意識の深部がじんわりと刺激され、涙が出てきた。
「感覚と記憶の交差する意識の深部」と言うとわかりにくいが(自分でもよくわからない)、別の言葉で言うと、「ロジックや効率性という尺度を超えて人間を突き動かす、崇高で感動的で不条理な何か」だろう。数年前から感じているのだが、この「ロジックや効率性という尺度を超えて人間を突き動かす、崇高で感動的で不条理な何か」とは、結局のところ、「愛情」の本質なのではないだろうか。これについては、具体例を交えてていねいに書かないと伝わらなさそうなので、また今度。
ともあれ、爽快感とともに現場を後にし、新大阪の駅へ直行。新幹線で東京へ。車内で、撮影中に考えておいたページ構成を微調整し完成させたり、ちょっと贅沢なお弁当を食べたり、考え事をしたり。

ところで、昼食を食べながら、設計者さんらと、「若手(20〜30代)の向上心の弱さやハングリー精神のなさ」などの話題になる。最近、40代の方とそういう議論をする機会が増え、その場合僕は、「若手の向上心やハングリー精神が弱い」ように見える理由を説明したり、やや擁護したりする立場になっている。「やや擁護」というのは、「共感はできないが理解はできる」という立場。ランチタイムとは思えないほど議論が白熱し、「ぜひ一度、お酒を飲みながら」と約束する。

■赤ちゃんの話題に触れたので、ついでに少々。
僕はずっと以前から、「もし自分がいつか、子供を持つ日がきたら、必ずしてあげよう」と考えていることが二つある。

一つ目は、「本の読み聞かせ」。絵本でも御伽噺でも何でもいいが、読んであげる。決して英才教育などではない。そうではなく、その後、その子が大人になったとき、書物や言葉を愛することができるようになれば、その子はきっと世界と幸せに向き合うことができる。たとえ世界が良い状態でも悪い状態でも、世界と幸せな関係を取り結ぶことができる。
人との関係も同じだろう。言葉を愛し、言葉をある程度上手に運用できるようになれば、相手が良い状態でも悪い状態でも、相手が良い人でもそうでない人でも、おそらく相手と幸せな関係を取り結ぶことができる。
もちろん、自分自身との関係も同じだろう。自分自身が良い状態でも悪い状態でも、自分自身と辛抱強く向き合い肯定的な関係を取り結ぶことができる。それには、言葉の力が重要だ。
書物や言葉を愛することができるようになれば、その子は、他者と自身の共通点に敬意を抱き、同時に、差異には寛容になるのではないかと思う。
あらかじめ世界が豊かだったり、豊かでなかったりするわけではない。その子の持つ言葉の力が、世界を豊かなものに変える。

二つ目は、「スキンシップ」。これは、「抱きしめること」と言い換えてもいい。子供は、最も近しい人から、より多く抱きしめられることで、「自分が他者から無条件に愛され肯定されている」という事実を知り、また、「同じように自分も、他者を肯定し愛することができる」という事実を知る。
つまり、「自分が他者から肯定され愛されている」と認識することは、「自分が他者を肯定し愛すること」の基盤になるだろう。
「肯定し愛する」対象は、親子間や異性間の話に限らない。対象は、それらを含むあらゆる他者だ。例えば、住んでいる国や都市が異なる人、話す言語が異なる人、年齢が異なる人、趣味趣向が異なる人、人生観が異なる人、政治思想が異なる人などなど。
そうして、その子は、やはりここでも、相手が良い状態でも悪い状態でも、相手が良い人でもそうでない人でも、おそらく相手と幸せな関係を取り結ぶことができる。

まとめれば、こう言えそうだ。
「本の読み聞かせ」を通して、子供は観念のレベルで世界や他者を肯定することを知っていく。
「抱きしめること」を通して、子供は身体のレベルで世界や他者を肯定することを知っていく。
そのどちらが欠けても、僕が考えている「幸せな生き方」を満たさない。
人が子どもに何かを残してあげられるのだとしたら、この二つ以上に大切なことを、今のところ、僕には思い浮かべることができない。