空気の器 FoRest ダイエット&ビューティー

■西麻布のCLDのショールームを見学。壁面材やガラスを振動させて音を出すスピーカーについて。
http://www.cld.co.jp
■青山のスパイラルにて、イベント「SPIRAL MARKET LIMITED SELECTION」を見る。
トラフの「空気の器」を見るために行った。美しいインスタレーション。トラフらしく、シンプルな仕組みから多様な見えがかりが創出される作品。
http://www.spiral.co.jp/e_schedule/2010/09/spiral-market-limited-selectio.html
http://torafu.com
■自由が丘にて、ビューティーサロン「FoRest」を見る。
CLDのスピーカーが使用されているようなので見てみた。
http://www.botanical-forest.com
■祖父の御見舞いへ。どんな状態にあっても、常に周囲への礼を尽くす生き方に感服。
■お台場の東京ビッグサイトで開催中の「ダイエット&ビューティー見本市」へ行き、スーク白川さん、ワイルドピッグ小笠原さんら関係者へ取材。
音楽や空間が自己主張してしまうのではなく、また、それらが客のためにのみ作られるのでもなく、そこで働くスタッフをサポートするように作られるべきといったお話を、音響づくりを中心にうかがう。おかげさまで、濃密な取材。
http://souk.jp/index.html
http://www.rumi-nolasaps.jp/nolasaps/

■『トランスクリティーク』(柄谷行人岩波現代文庫)を読む。
著者は、資本制社会に批判的で、そのかわりに「アソシエーション」という社会のあり方を目指すべきだと説く。著者の言うアソシエーションとは、非搾取的で、非排他的で、自発的な「生産-消費協同組合」のこと。


本書は、そんな社会を実現するための理論的基盤を、カントとマルクスから大いに学ぼうじゃないかという読み応えのある一冊。前半はカントに触れながら主に倫理性について、後半はマルクスに触れながら主に政治経済学について、著者の考察が披露される。


カントの思想への考察から、著者は、自分とルールを共有しないようなまったく別の共同体に属している他者について考える。文中では、「非人称的な他者性」「けっして内面化できな超越論的な他者」「規則を共有しない他者」と書かれている。この他者というのは、具体的な他者ではなく、かといって神様みたいな存在でもなく、ありふれた他者なのだけれど、誰でもないような他者。イメージとしては、子孫とか外国人に近い。
で、そんな他者を想定することで、「普遍性」や「複数のシステムの存在」へと話が発展し、「各人が他人を手段としてのみならず同時に目的として扱うような経済システム」を目指しましょうという話になる。


一方、マルクスの思想への考察から、著者は、「貨幣」がどのように機能したり「剰余価値」がどのように生まれるのかについて考える。そして、剰余価値が実現されるのは、「異なる価値体系の間で交換がなされるような流通過程においてである」などの結論を得る。


カントへの考察においてもマルクスへの考察においても、「異なる価値体系(自分の属している共同体とまったく別の価値体系を持っている共同体)」を想定すると、自分の属してる共同体のありようが見えてくるのだという視点では共通している。


けれども、これらのカントとマルクスのお話は壮大な前振りであって、著者は後半で少し本題に触れる。それは、交換の原理にもとづいて「アソシエーション」のあり方を定義してみようという試み。具体的には、現在のところ多くの先進国で、「資本制市場経済」「ネーション」「ステート(国家)」が三位一体となっている。けれども、それぞれ交換の原理が異なっており、「資本制市場経済」は「貨幣による交換」に、「ネーション」は「贈与の互酬性」に、「ステート」は「収奪と再分配」に基づいている。そこで著者は、第四の交換のタイプとして、アソシエーションを提起する。


そのアソシエーションの社会では、代表者をくじ引きで選んだり、「資本に転化しないような代替貨幣」が使われたりするらしい。これだけを聞くと、まるで子供の頃に遊んだおままごとの世界のようだ。アソシエーションが実現すると、いったいどんな世界になるのだろう。(なお、この原理にもとづくアソシエーションの試みが、著者とその賛同者によって2000年に開始され、2003年に解散したそうだから、現実化は難しかったのかもしれない)


最後まで本書を読んでも、アソシエーションによる社会がどんな生活なのかまったく想像できなかったし、とても実現しそうには思えなかったが、むしろ本書をカントの解説書として読むのなら面白い本だと思った。


ところで、本書において著者は再三、「世界観やルールを共有しない他者」の存在を問題にしているが、考えてみると、ヴィトゲンシュタインもまた、そういう「絶対的な他者」の存在を考慮に入れることによって、前期から後期へと移行したように思える。というのも、前期ではスタティックな単一の体系としての言語活動を考えているけれど、後期では発話のコンテクストを考慮に入れている。つまり、自分とは別の世界観やルールに従う人々の存在を念頭に置いたときに初めて、「私」の属している「いま・ここ」というコンテクストが問題になるから。

トランスクリティーク――カントとマルクス (岩波現代文庫)

トランスクリティーク――カントとマルクス (岩波現代文庫)