PROTOTYPE展  『これからの「正義」の話をしよう』 『建築が生ま

■昨年末、東京ミッドタウン・デザインハブにて、「PROTOTYPE 04 new action 展」を見た。
16組のデザイナーよる「プロトタイプ」の展覧会。主催者によれば「製品の完成に至るまでに製作される数々の試作品や多彩なモデル、スケッチなどを紹介し、デザイナーのアイデアや思考プロセスを明らかにします」とのこと。
橋本潤さんのイスと寺田尚樹さんの紙ヒコーキが印象的だった。
橋本さんイスは、1枚のステンレスメッシュでつくられている。構造、工法、意匠が分離せずに同時に一つの形として実現しているように見える。藤本壮介さんの建築観と通ずるものを感じた。
そして、見かけの固いイメージに反して、とても座り心地がいい。

http://www.superprototype.net/
参加メンバー:芦沢啓治・イノダ スバイエ・印デザイン・大友賀公・岡安泉・サイズコア・dan to yoh・寺田尚樹・ドリルデザイン・鳴川肇・橋本潤・藤森泰司・参・武藤努・リーフデザインパーク

■『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル早川書房)を読む。

まずは前半で、集団を基調にして道徳を考える「ユーティリタリアニズム功利主義)」と個人を基調にして道徳を考える「リバタリアニズム自由至上主義)」を比較しながら、両者の欠陥を指摘する。どちらも、「人間の尊厳や人格という道徳的理念」(p76)を扱いにくいなど、いくつか欠陥があるからだ。

そこでサンデルは、カント、ロールズアリストテレスを参照しながら徐々に自身の理論へ読者を導いていく。
カントは、「人格そのものを究極目的として尊重すること」「自律という自由」「その行動自体を究極の目的として行動」することなどを説く。ロールズは、「無知のベール」を被った「平等の原初状態」を想定すると人々はそこで何を選択するかと問い、「所得と機会は道徳的に恣意的な要素に基づいて分配されるべきではない」「個人に分配された天賦の才を全体の資産と見な」すべき、などの道徳を説く。アリストテレスは、その集団や社会の活動の目的(例えば「善良な生活」)がまず議論され設定され、そこから逆算するようにして、その社会で賞賛される名誉や美徳とは何かが決まると説く。

そして、それらの議論を概観した後に著者は、「政治と法律は道徳的・宗教的論争に巻き込まれるべきではないとわれわれは考えがち」(p344)だが、「すべてに中立な正義の原理を見つけたいという望み」(p284)には欠陥があるという。「正義と権利の議論を善良な生活の議論から切り離すのは、(中略)間違っている」(p323)、われわれは「同胞が公共生活に持ち込む道徳的・宗教的信念を避けるのではなく、もっと直接的にそれらに注意を向けるべきだ」(p344)と主張する。

サンデルは、いつでもどんな国や地域においても常に妥当するような普遍的な正義の法則を探すよりも、その都度、構成員たちが背負ってきた信念をぶつけ合いながら、一歩踏み込んで個別に議論しようと言っているように読めた。なるほど、ひとまず賛成だ。僕自身の志向性で言えば、具体的な構成員を想定するよりも、つねに絶対的な他者(常識も信念も共有しない他者)を想定して考えたいと思っているので、サンデルの主張に100%共感するわけではないけれど、それでもサンデルの主張は目前の現実的な問題を議論するには重要な発想だと思えるので、実践できる機会があれば実践したい。
ただ、日本に暮らしていると、異教徒や他民族のような、自分と道徳的・宗教的信念を異にする人に出会うことが少ないだろうから、日本で本書を読むとサンデルの主張にいまいちリアリティーを感じられないかもしれない。とはいえ、既に日本でも地域によっては、韓国、中国、ブラジルなどから移住してきた人々とコミュニティーを形成しているケースもあるようだから、リアリティーを持ち得るかもしれない。

代理出産、徴兵制、納税など具体的なケースをきっかけにしながらこうした正義に関する様々なアプローチの仕方を教えてくれる本書は、とてもいい本だと思う。多くの人に読んで欲しい一冊。それにしても、なぜこれほど日本で売れたのか不思議だ。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

■『建築が生まれるとき』(藤本壮介/王国社)を読む。

各章のタイトルがいい。建築書を読み慣れている人ならば、目次を眺めるだけで、本書の主旨が大まかにイメージできるだろう。建築を専門としていない人にもおすすめの一冊。

文章も明快。無駄なく高密度にキーワードが詰め込まれた文章だ。「シンプルであると同時に多様であること」「自然と人工の間のような存在」「乱雑さと秩序の同居」「自然の地形のような複雑さ」「ある場所は常に他の場所との関係の中にしか存在しない」「人が住むための根源的な空間の起伏」などなど。
藤本氏は、文章表現が本当にうまい。彼は、あとがきで「建築を考えるときには、常に言葉と形のあいだを交互に行き来している」と書いているように、言葉を単なる説明手段として使っているのではなく、一種の設計ツールとして使っているようだ。

他の建築家の発想ともシンクロしそうな同時代性がある。例えば隈研吾氏は、主に素材や構法によって「負ける建築」を実現しているが、藤本氏は、平面や断面のプランニングによって「負ける建築」(藤本氏は「弱い建築」と表現している)を実現していると言える。また、藤本氏の用いる「洞窟/巣」の比喩は、青木淳氏の用いる「原っぱ/遊園地」の比喩とほぼ同様で、合目的的につくるのではない緩やかな場所を用意しておき、利用者がその空間から触発されて、その空間に用途を見い出しながら使うという発想で通底している。

「ぼんやりとした領域の中に住む」という著者の建築の柔らかい世界観は、例えば遊びから仕事までが一台のパソコンの中に同居してしまうIT時代のルーズさやシームレス感覚と共振しそうに見える。また、明快さ、尊大さ、男根的、装飾的、理論構築的といった特質が忌避される今日の雰囲気にも合致するだろう。最近気になる「カジュアル猥雑志向(これは最近僕が勝手につくった言葉だが)」に近い世界観を感じる。

しかし一つ本書の難点を言えば、最初から最後までだいたい同じような内容が書かれているので、途中で飽きてくること。最初の三分の一くらいを読めば、著者の目指す建築のイメージは掴める。もちろん、著者がここ数年で書いた短い文章を集めて構成された本なので、内容の重複は仕方ないかもしれないが。飽きさせる理由のもう一つは、本書の内容が著者の目指す建築イメージの説明に終始しているためだ。もう少し理論の展開があったりすると面白いだろうと思った。

建築が生まれるとき

建築が生まれるとき