東日本大震災 八吉 二子玉川

大きな特集の制作や大地震などで、すっかり更新が遅れた。
 
東日本大震災。マスコミを通して部分的に状況を見聞するだけだが、被害の惨状が強烈すぎて、その強烈さに自分の実感が追いつかない。
被災してしまった人々は多くの幸せを失ったはずだ。その事実を消すことはできないが、数年か数十年の歳月を掛けて、被災した人と被災しなかった人の間に、できる限り幸福感の隔たりが生じないよう、被災者にサポートが差し伸べられることを願う。そのためにできることをしたい。
■ところで、いまマスコミで頻繁に見かける 「犠牲者の皆様に心よりご冥福をお祈り 申し上げます」 「被災者の皆様に、心よりお見舞い申し上げます」という言葉に若干の違和感を覚える。とはいえ、もし僕が放送局や出版社の代表者だったとしても、それ以外の言い方を思い浮かばないから、彼らを責めることはできないのだが・・・。
違和感の源泉は、上記の文言が、僕らに「後ろめたさ」を忘却させてしまうということだ。直接被災しなかった僕らは、被災地の現状に胸を痛め、できる限りの節電をしながらも、いつもどおり温かい部屋で温かいご飯を食べ、テレビを見て、温かい風呂に入り、飲料水のペットボトルをいつもより少し余計に買うだろう。そうしたいつもどおりの行動が悪いわけではない。仮に僕らが被災者と同じ生活をしてみたところで、被災者の気持ちになれるわけではない。たとえ被災地に足を運んでも、その惨状にいくらかのリアリティーが湧くかもしれないが、それでもあくまで僕らにとって被災は他人事の域を出ない。つまり、ここで忘れるべきでないのは、被災しなかった僕らにとって、あくまでも被災は他人事でしかありえないということだ。それは、仕方がない。おそらく大地震津波原発事故に僕らが見舞われるまでは、被災しなかった僕らが当事者の気持ちになることはできない。そのことが、僕をとても後ろめたい気持ちにさせる。
自分が被災しなかったことに安堵しながら、なぜ自分はたまたま被災しなかった側に属しているのか、なぜある人々は被災してしまった側に属しているのか、という理不尽さに絶望し、そして当事者の気持ちになることができない後ろめたさに苛まれる。その絶望と後ろめたさに苛まれ続けながら、できる限りの支援をするしかない。
ところが、 「犠牲者の皆様に心よりご冥福をお祈り 申し上げます」 「被災者の皆様に、心よりお見舞い申し上げます」という言葉は、その絶望と後ろめたさを軽減してくれる。被災しなかった僕らは被災に対して他人事でしかいられず、「心よりご冥福をお祈りする気持ち」を持てないという後ろめたさを正視し続け、その後ろめたさから目を逸らすべきではないように思う。こんな惨事が起こっているにもかかわらず、直接被災しなければ、惨事に対して他人事でしかいられないという事実を恥じ続けるべきであろうと思う。
■もう一つ、「○○の初動が遅すぎた」 という言い方をよく耳にする。一般人でも評論家でも、そう言う人がいる。「○○」には、今回の震災の場合なら、政治家の名前や電力会社の名前が入る。遅すぎたのは、事実かもしれない。
「○○の初動が遅すぎた」 という種の批判は、今後の対策として、たとえば原発の管理体制などに具体的に活かされる分には価値がある。けれども、現段階で言われる「○○の初動が遅すぎた」という種の批判は、発言者が責任を負うことなく「善いおこない」をしている気分に浸ること以外に効用がない。ガス抜きに過ぎない。
話を日常のシーンに広げれば、多くの会社員が、酒を飲みながら言う「うちの会社のここが良くない」「○○(上司やリーダーの名前)はダメだ」といった種の批判と同じだ。それらの発言は発言者の無能さを棚上げして、発言者本人は責任を負わずに、会社や上司に責任転嫁できるので、言っていると気持ちがいい。しかし、まったくクリエイティブでない。
その種の発言をやめると、もう少し生産性が上がりそうだ。
■東京を含め東日本の人々(あるいは日本の人々)のライフスタイルは大きく変わるかもしれない。正確に言えば、変わるというより、すでにここ数年台頭していた「シンプル族」「嫌消費世代」「欲しがらない若者」といったライフスタイルが加速しそうだ。
無駄な消費や外食をせず、衣食住の基本的な生活を大切にし、好きなものを長く使い、お金をかけずに趣味を楽しむ人々は増えてきたように見えるが、それでも社会全体としては「もっともっと」を是としてきた。もっと新しく、もっと正確に、もっと安く、もっと早く、と。
しかし僕らは、節電しても、そこそこ暮らせることがわかった。むしろ、街中の看板の明かりなどは消えていたほうが気持ちいいということもわかった。社会は「少なく、小さく、シンプルに」 という方向に加速するかもしれない。

■岩淵活輝事務所へお邪魔し、資料を借りたりお話を聞いたり。
■編集会議。
■徐々に5月号の取材段取りなどするが、どうも気分がのらない。一時的に休業している事務所もあるようだ。
■4月号の制作完了。創刊700号を記念した特別企画。商業空間デザインの歴史を振り返りつつ、これからの店づくりも考える企画です。お手に取っていただき、読者の方お一人お一人が商空間デザインや店づくりについて考えるヒントを見つけていただけたら、なによりです。
■新連載のためスープデザインさんお打ち合わせ。
渋谷マークシティの「神楽坂 茶寮」へ。
http://www.saryo.jp/shibuya.html
■全体会議。当然ながら、燃料不足、道路の破損、渋滞などで流通業者もダメージを受けており、各地への雑誌の配本もどうなるか予想できない状況。しかし、こんな状況なのだから、出版物の配本が少々遅れようと、被災地への支援や復興活動が最優先されるべきだ。
 
■震災前のことになるが、東京ビックサイトにて、商店建築セミナー開催。
トネリコ米谷さんと淺川敏さんによる充実のトークセッション。トネリコの作品を題材にした淺川さん制作によるムービーも披露され、トネリコ作品をロマンチックに概観できた。ムービーのBGMもとても素敵。また、米谷さんが影響を受けた小説やアートなど、日頃あまり出ない話も聞けて、興味深い。
冒頭に、4月号の700号記念特集について10分くらい説明させていただく。
130名くらいの方にご来場いただいたようだ。ご来場いただいた皆様、どうもありがとうございました。
■大熊俊隆さんの事務所へお邪魔し、原稿の最終調整。
■六本木「つるとんたん」にて、カレーうどんを食べる。
http://www.tsurutontan.co.jp/roppongi/
■新宿東口の居酒屋「八吉」へ。久しぶりの個室居酒屋。子持ち昆布のくし揚げ、湯豆腐、五穀サラダなど、どれも美味しい。
http://r.gnavi.co.jp/g243649/
■ルイヴィトン表参道のギャラリーで、重力をテーマにした展示を見る。
 
二子玉川ライズの一部を見る。震災や計画停電の影響か、内覧会は中止になったが、3/19にオープン。すべて見きれなかったので改めて行こう。
全体に、なるべく各店舗の境界を壁で仕切らず、オープンになっている。そして、商品も内装も、オーガニック、ナチュラル、グリーンといったイメージ。今日的だ。