『偶然の音楽』(ポール・オースター/新潮文庫)を読む。



ストーリー展開は、かなりシンプルだ。それゆえに、ワンセンテンスごとの豊穣さが強く浮かび上がる。登場人物の類型に関する描写や、主人公が物事や人々に対して抱く考察。そうした文章の一つひとつが、僕に小説を読むことの満足感をもたらしてくれた。だから、まずは、「オースターの書く文章(そして、柴田元幸氏の訳文)が好きだ」という人には大変オススメだ。
 
オースター作品をすべて読んだわけではないが、本書は、オースターの前期の小説作品にカテゴライズされる性格を持っていると言ってよいと思う。本書を含め、80年代に書かれた『シティ・オブ・グラス』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋 』『最後の物たちの国で』は、共通点を持っているように見える。それは、以下のような点だ。
・ストーリー展開がシンプルである。
・登場人物が記号のように抽象的なキャラクターとして描かれている。
・「読むこと」「書くこと」「生きること」「偶然性と必然性」などがテーマになっている。
  
けれど、2000年代に書かれた『幻影の書』『オラクル・ナイト』などは、ストーリー展開が複雑でスピーディーになる。これらを後期の作品と呼んでよいかと思う。後期の作品は、抽象度の高い思想的なエッセイを読んでいるかのような気分を味わえた前期作品とは、大きく印象が異なる。
そんなわけで、前期のオースター作品が好きな方に、いっそうオススメと言える。一方、小説の面白みをストーリー性に見い出す人には、あまりオススメできない。
 
 
さて、少し内容について触れよう。
主人公は、30代前半の消防士の男、ジム・ナッシュ。すべては彼の視点から語られる。
先ほど、ストーリー展開はかなりシンプルと書いたが、主に以下の三つの場面に分けられる。

1:自動車でただただアメリカを走り回る場面。
2:ポーカーの大勝負の場面。
3:ひたすら石を積んで壁をつくる場面。

だから、登場する空間は、主に三つ。「自動車の運転席」「ポーカーをする邸宅の室内」「壁をつくる巨大な庭」。こんなに登場する空間が少なくて、よく小説が成立するなあと思うほど、少ない。だからこそ、主人公らの思考の描写が際立つ。
  
ストーリーをごく簡単に言うと、次のような感じだ。(ややネタバレになるので、未読の方は、読まないほうがよいかもしれません)
30年間会ったこともない父の遺産20万ドルが、ナッシュの元に突然転がり込む。仕事を辞め、自動車で1年くらいアメリカじゅうを行ったり来たりして、金が尽きるのを待つ。
たまたまジャック・ポッツィという男に出会う。ポッツィは、20代前半くらいで、ポーカーがめっぽう強い。
ナッシュがポッツィに資金提供し、ポッツィは、フラワーとストーンという二人組の男にポーカーの大勝負を挑む。意外にも、ポッツィが負ける。ナッシュとポッツィは、全財産を失った上に、フラワーらに1万ドルの借金をしてしまう。
借金返済のため、ナッシュとポッツィは、フラワーらの邸宅の巨大な庭に石を積み上げて壁をつくる労働をする。長さ600メートル、高さ6メートルという巨大な壁だ。
大まかなストーリーは、こんな感じ。(大金が転がり込んできたり、すべてを失って、社会から隔絶されたりという状況は、オースター作品によく描かれる)
  
興味を持ったのは、先述の三つの場面が、僕ら人間が行う作業の類型を表しているように見える点。つまり、こういうことだ。
「1:自動車でただただアメリカを走り回る」は、まったくの無意味な作業。意味も目的もない。ゴールもない。技術も必要ない。やり甲斐も高揚感もなく、ただただ時間と金を消費するだけの作業。何も形に残らない。受動的な作業。しかも、非常に地道な作業で、レバレッジ性やギャンブル性はない。
「2:ポーカー」は、「勝つこと」と「金を得ること」という強烈で明快な目的がある。強い高揚感や達成感がある。高い技術が必要。一つひとつの判断や言動は意味に満ちている。能動的な作業。高いレバレッジ性やギャンブル性があり、投資した金額よりもはるかに大きな金額を得ることがある(もちろんすべて失うこともある)。ただし、ゴールがはっきりせず、どこまで勝てば終わるのか、が見極めにくい(どこまで負ければ終わるのか、は比較的明快だが)。
「3:石を積んで壁をつくる」は、(この小説の設定では)あまり意味のない作業。非常に地道な作業で、レバレッジ性やギャンブル性はなく、投資した分の労働力に正比例して、それ以上でも以下でもなく、応分の成果が残る。「長さ600メートル、高さ6メートル」という完成像が定められているので、ゴールがはっきりしている。単調な作業で高揚感はない。ただし、達成感はある。

ナッシュには「3」が向いていたようだし、ポッツィには「2」が向いていたようだ。もちろん僕ら人間が行う作業の類型は、この3パターン以外にもあるが、あなたは、どの種類の作業が好きだろうか。どの種類の労働を、あなたは自分の仕事にしたいか。
 
ちなみに、ナッシュが人間的な魅力を放つのは、大金を得た後よりも、全財産を失った後だし、「1」の作業をしている時よりも、「3」の作業をしている時だ。
  
ところで、この作品では、いったい誰が良い人間なのか、誰が悪い人間なのか、判然としない。なぜなら、いくつもの謎が未解決のまま終わるため、登場人物たちの行動の意図や真相が分からないからだ。
謎を未解決のままにするのは、小説作品としてはややルール違反とも言えるが、本書は推理小説ではないので、謎が未解決であってもさほど問題ではない。むしろリアリティーがある。なぜならば、僕らは、実際の生活の中で、例えば「彼はどういう意味であのような発言をしたのか」「彼女のあのような行動は、意図的だったのか偶然だったのか」といったように真意や真相が分からない言動に頻繁に出くわすからだ。いやむしろ、他人とのコミュニケーションにおいて、真意や真相などほとんど分からないと言ってもよいかもしれない。だからこそ僕らは、恋愛や友情で悩むのだ。その意味で、本書にリアリティーを感じた。
    
    
邦題は「偶然の音楽」、原題は「The Music of Chance」。どういう意味だろうか。作品からは、いくつかの含意を汲み取れる。だが、僕が最も感じたのは、人生は「The Music of Chance」だということだ。人生は、無数の偶然が連なって織り上げられていく一連の出来事の集合体だ。けれど、後になって振り返れば、それは、一つの音楽作品のように、序章があり、転調があり、安穏な場面があり、クライマックスがある。
    
     
今回は、まったくまとまらない感想を書き散らかしてしまった。
最後に、この小説を読んで良かったと思えた大きな理由を二つ挙げておこう。
一つは、主人公ナッシュの物事の感じ方が僕自身のそれにいくらか似ていて、「ナッシュに会ってみたい」「ナッシュという人物に共感できる」と思ったからである。作中のナッシュの言葉を借りれば、「他人のなかにひとたび自分を認めると、もうその人間が他人には思えなくなってくる。好むと好まざるとにかかわらず、そこには絆が生じる」(P.75)。
もう一つの理由は、ずっと以前から、「きっとできるはずもないが、僕もこんなことをしてみたい」とぼんやり感じているわずかな衝動を、ナッシュが作中で実践しているからだ。その衝動とは、「1:自動車でただただアメリカを走り回る」のように、すべての日常生活を捨て去って一人で移動し続けてみたいという衝動。「2:ポーカーの大勝負」のように、全財産を何か一つに破滅的に賭けてみたいという衝動。「3:ひたすら石を積んで壁をつくる」ように、単調で静謐で原始的でミニマムで、どこか健康的で、社会と隔絶された環境で過ごしてみたいという衝動。
こうした衝動が、僕自身の中に昔から、ほんのわずかながら存在する。
つまり、人格の側面と行動の側面において、僕がナッシュを他人と思えなかったことが、本書を楽しめた最大の理由だ。
   
ナッシュに感情移入できそうなあなたは、『偶然の音楽』を手にとってみてください。


〈勝手に採点〉
・登場人物たちの魅力 ★★★★★
・ストーリー展開 ★★★☆☆
・設定(時代、場所、状況等) ★★★★☆
・メッセージ性 ★★★★☆
・文章の魅力 ★★★★★

偶然の音楽 (新潮文庫)

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偶然の音楽

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