- 作者: 谷尻誠,須山奈津希
- 出版社/メーカー: エクスナレッジ
- 発売日: 2012/03/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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以前から著者が建築設計を通して追求している「空間の仕切り方」「内部空間と外部空間の関係」「空間とその呼称の関係」「衣服のような建築」「未完成の建築」といったテーマについて平易に語られている。
けれど本書は、建築家の著書としては、大変珍しい構成。というのは、谷尻氏の設計した建物の様子を見せる写真がまったく登場しない(関係者が寄稿したページに、小さく4点載っているのみ。p.75の写真は東静岡のブティック「52」だと思うが、その写真からも建物の様子は分からない)。実例がないのではない。むしろ谷尻氏の仕事の件数は、同世代の建築家の中でも、ずば抜けて多い。にもかかわらず建物の写真を載せなかった理由はおそらく、「建築写真を見ること」は「その建築のエッセンスを体験すること」に必ずしも結びつかないと考えたからではないか。むしろ、本そのものの作り方(テキスト、イラスト、紙質、レイアウトデザインなど)によって、谷尻建築のエッセンスや谷尻氏が建築を通して実現しようとしていることを読者に体験させることができると考えたからではないか。だとすれば、それが成功していると思う。
建築設計を専門とする人にとっては平易過ぎる部分もあるかもしれない。けれど、著者自身が「普段は建築の世界に縁遠い人たちに、少しでもそのおもしろさを届けていきたい」(p.127)と書くとおり、建築以外の分野で活動しているクリエイターや、建築を学ぶ学生が読んだら、とても刺激を受けそうだ。そして、これから谷尻氏に設計を依頼してみようかと迷っている施主の方々にも、大いにお薦めしたい。設計事例の写真が載っていないのに施主の参考になるのか、と思う人もいるかもしれない。だが、大いに参考になる。なぜなら本書は、谷尻建築のエッセンスを体現しているからだ。もし、あなたがこの本の内容や体裁や雰囲気をとても好きならば、谷尻氏に設計を依頼するとうまくいくかもしれない。好きでなければ、依頼しないほうがいいかもしれない。
では、本書が谷尻建築を体現しているとは、どういうことか。
例えば、こんな具合だ。
本書の中には、様々な段組みや様々な色の文字が混在している。一つひとつの節は、短くてシンプルな文章なので、どこからでも読み始められる。難解な言葉も登場しない。つまり、敷居が低いのだ。谷尻建築もまた、敷居が低く、誰もがとっつきやすいオープンな性格を持つ。
また、本書は、あまり見かけないような手の込んだデザインなので、全容をすぐには把握できない。けれど、どのページにも、楽しさが満ちている。谷尻建築もまた、人々に体感的な楽しさや気持ちよさを与えてくれる。
そして、本書を読み終えても、なぜか読み終わった気がしない。読み残した部分や別の読み方があるのではないかという気にさせる。谷尻建築もまた、つねに使い手を触発し、「この空間にはもっと他の使い方があるのではないか」と思わせ続ける(実際に谷尻建築の施主の一人から、取材時にそのような言葉を聞いた)。
本書も谷尻建築もともに、人をリラックスさせるのだが、決して読み手(使い手)の五感を休ませてくれない。心地良く読み手(使い手)の五感を刺激し続ける。本書の中に数カ所、「んっ、これ、どうやって読むんだ?」と、あえて読み手を迷わせるような仕掛けも盛り込まれている。
谷尻氏にとって、建築づくりも書籍づくりも、同じような作業なのではないだろうか。どちらの現場においても谷尻氏は、協働者の能力を存分に引き出しているように見える。それは、おそらく読み手の「勘違い」ではあるまい。
ところで、14〜15ページに、谷尻氏の生まれ育った町家の平面図(スケッチ)が載っているのだが、この平面図に衝撃を受けた。谷尻建築の魅力の原点は、この生家にあるように思える。谷尻氏の設計する建築には、「屋外のような屋内」や「屋内のような屋外」と言える大変気持ちいい空間が、かなり高い頻度で設けられている。そうした空間の原点は、谷尻氏の生家の中庭と土間にあるのかもしれない。当時を振り返り、谷尻氏は「町家での生活がイヤでイヤでたまらず」(p.13)と書くが、その町家の空間構成に谷尻氏の明るさとオープンネスを足し合わせれば、谷尻建築が生まれそうだ。
以前から僕は、建築家やデザイナーが生み出す空間にはその人の幼少期の原風景が反映されているのではないか、と思っているが、その説を検証してみたくなった。
日々の仕事に追われて頭が凝り固まってきた時に開くと、その凝りを揉みほぐしてくれそうな前向きな一冊だ。