- 作者: 高橋正明
- 出版社/メーカー: 彰国社
- 発売日: 2011/12/01
- メディア: 単行本
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建築の分野に限らず、あらゆる分野の若手クリエイターが読んだら、共感するところが多いのではないだろうか。
図らずも本書の登場者の多くは、建築家としての在り方について異口同音に次の四つのことを語っている。
1:「良い/悪い」という趣味的な判断を超えて、社会で共有される分かりやすいメッセージを語ろうという姿勢。彼らは、趣味的判断に代えて、客観的な問題設定を重視し、それを事務所スタッフやクライアントと共有しようと考えている。この姿勢は、藤村龍至さんや柳原照弘さんを筆頭に、多くの登場者の発言から感じ取れる。特に、「社会性」という点では、事務所運営の社会性について語る中村拓志さんの発言が、重要だと思う。過酷な労働を当然と考えている設計事務所の運営スタンスは、設計業が趣味性から脱することができないことと強く関連しているだろう。
2:デザイナーは、デザインするための枠組みや状況自体をデザインすべきという姿勢。大野力さんや谷尻誠さんを筆頭に、多くの登場者が語っている。
3:アトリエ事務所のボスの作家性や主観性をベースにしたデザインを避け、プロセスに注目し、事務所全体で強いチームになるべきという姿勢。藤村さん、谷尻さん、西田司さんを初め、このスタンスも多くの登場者に見られる。
4:フラットな人間関係で設計をしようという姿勢。これは、上記「3」とも関連する。トラフのお二人をはじめ、「フラット」という言葉が度々登場する。そうしたフラットな関係によるデザイン活動ををサポートするのが、田中陽明さんが手掛けるシェアオフィスのような空間だろう。
当然、聞き手の質問や、執筆時の話題の取捨選択が、上記のような発言の共通性を生み出した可能性はあるが、それにしても、上記4点は印象的であった。「社会」「フラット」「共有」という言葉が随所で語られる。
乱暴に一括りにするならば、上記4点のような設計スタンスは、とても繊細で思慮深くナイーブと言える(僕自身もそうしたスタンスにとても共感する)。おそらく世間に思われがちな“センセイ然とした建築家像”(旧世代の建築家像。古すぎるか。)とは対照的だ。こうした新世代の建築家たちの設計スタンスが、本書の最後に登場する永田宏和氏の言う「謙虚だけどセンスのある建築」を生み出すのではないか。
なお、面白いことに、海外で多くの設計プロジェクトを手掛けている豊田啓介さんと迫慶一郎さんだけは、必ずしもそのナイーブさを肯定していない。この繊細で思慮深い設計スタンスは、日本特有の現象なのだろうか。世界では、通用しにくいのだろうか。
それにしても、どうして、この世代(1970年以降くらいに生まれた世代)で、このような思慮深い建築家像が生まれたのだろう。
おそらく、建築業界やデザイン業界に関して言えば、背景には、一応、表面的には日本社会を「デザイン」なるものが覆い尽くしたことがあると思う。今日、僕らが見る建物や商品の大変多くが、デザインをまとっている。その結果、二つのことが起きた。一つは、さしてデザインに興味や理解を持たないクライアントまでもがデザイナーに仕事を依頼するようになったこと。もう一つは、そうしてデザイン事務所は増えたが、不況を背景に、デザイナーの仕事は減少し、「建築家先生」としてアトリエに籠って眉間にシワを寄せて難しい本を読みながら、潤沢な資金を持ったクライアント(公共団体や大企業の経営者など)を待っているだけでは、設計ビジネスが成立しなくなったこと(いや、もちろん現実には、いつの世代もそんな戯画的な建築家などいなかっただろうし、丁寧に営業的な努力をしている建築家の方々もたくさんいたと思うのだけれど、建築以外の分野の方々と話していると、時々これに近い建築家像を抱いている方々もいるようで、もしかすると、建築家という存在はだいぶ敷居が高いことなのかなあと感じることもある。)
おそらく主にこの二点(他にもあるかもしれないが)の理由によって、近年、若手の建築家やデザイナーが、「社会に向けた言葉の発信」と「枠組みのデザイン」を強く意識するようになったのではないか。
正確なデータを調べたわけではなく、あくまで印象論なのだけれど、だいたいこんなことじゃないかと思う。
この二点は、建築業界やデザイン業界に関する背景だ。けれども、繊細な建築家が登場している背景には、それ以外に、もっと大きな時代状況が関係している気がする。この世代の設計者が、自己反省の意識を強く持つようになっているように見えることだ。だから、彼らは、造形を考える前に、「そもそも、その造形を生み出すための方法は妥当だろうか」と自身に問う。
自己反省の意識は、なにも設計者に限ったものではない。おそらく70年半ば以降くらい生まれた多くの人が共通して持つ意識だ。彼らは、「自分の意見が間違っているかもしれない可能性を念頭に置いておかないのは恥ずかしい」「自分の意見や自分の存在を強く主張するあまり、コンテクスト(世間とか仲間とか)から遊離するのは恥ずかしい」という倫理観を持っている。もし年配や高齢者が、今の20代、30代の人々を見て、「おとなしい」「自己主張が足りない」「覇気がない」などと感じるとすれば、若者の上記のような倫理観が理由だと思う。けれど逆に、20代、30代の人々が年配や高齢者の振る舞いを見れば、「客観化や相対化ができずに、自分の意見を絶対に正しいと思い込んで主張し過ぎる姿が恥ずかしい」「自分の意見が間違っているかもしれない可能性を念頭に置いておかない無自覚ぶりが恥ずかしい」「セルフチェック能力が低すぎる」と思うはずだ。
どちらが正しいというわけではなく、そんな世代間の違いがあるように感じる。
すると、さらに、なぜ現代の人々において自己反省の意識が強くなったのか、が気になる。それはおそらく、前世代に対する反発や、相対化という考え方が人々の心に浸透した(構造主義的な思考法が人口に膾炙したと言ってもよいかもしれない)ことが背景にありそうに思う。
詳しくは、またいつか。
最後に一つ、本書の話に戻ると、谷尻誠さんのインタビュー部分には、特に感動した。いつもながら、谷尻さんは、一見当たり前に思えるが多くの人が日常業務の中で忘れてしまいそうなことを、ピュアに持ち続けているように見える。建築学科の学生時代に多くの人が抱いたであろう意志を、これほど多忙になっても、維持し続けている。例えば、「誰がやっても同じことだったら僕はやらないようにしよう」など。特に、112〜113ページだけでも、ぜひ読んでいただきたい。
巻末の「解法の手引き」も参考になる。特に、良くないウェブサイトの指摘に大いにうなずいてしまった。(271ページ)
世代論で捉えてしまってよいのか分からないけれど、それでも世代の傾向について考えさせられる興味深い一冊だった。もちろん、同時代性だけでなく、それぞれの建築家が個別に追求している問題意識もあるので、本書を読むと、登場する一人ひとりの建築家にもっと詳しく話を聞いてみたいと思うかもしれない。
いずれにせよ、日本の新世代の建築家像を概観できる大変充実した本だと思う。オススメです。