『第四の手(上・下)』(ジョン・アーヴィング/新潮文庫)を読む。

なんて素晴らしい小説だろう。出会えてよかった。素直にそう思える小説だ。これは、今までに僕が出会ったどの小説にも似ていなかった。

第四の手〈上〉 (新潮文庫)

第四の手〈上〉 (新潮文庫)

第四の手〈下〉 (新潮文庫)

第四の手〈下〉 (新潮文庫)

2年くらい前に、「いつか読もう」と思ってこの本を購入し、そのままそれを机の片隅に積んでおいた。なぜか先日、それを手に取った。1行目を読んでみた。その文章が僕の心をいきなり鷲掴みにして、この小説の中に引きずり込んだ。読むことを止められなくなった。
 
大した事件が起こるわけではない。いや、大した事件は、最初の数ページで起きてしまい、あとは、さほど明快なストーリーがあるわけではない。けれど、一行一行が、笑いと納得と驚きと共感に満ち溢れている。飽きることはない。
 
登場人物たちは、男も女もみな、どこか欠落していたり、偏っていたり、極端だったり、歪な人々だ。けれど、みんな憎めない魅力的な人々なのだ。
本書に登場する男たちは、仕事以外の場面では、だらしなくて、子どもっぽくて、ドジで間抜けだ。
本書に登場する女たちは、性急で、力強く、子供を産みたいという強烈な欲望に駆られている。
彼らの行動は、ときに、みっともなくて、馬鹿馬鹿しい。だけど、みんな素敵な人々だ。
もっとこの小説の世界にいたい、と思いながら読んだ。
 
見方によっては、個々の人々の人生や出来事の脈絡をひとまず無視すれば、世界は「馬鹿馬鹿しさ」や「くだらなさ」や「愚かさ」に満ちている(主人公パトリック・ウォーリングフォードが務めるニュース専門チャンネルは、そういう世界観で世界を切りとっている)。けれど、個々人の人生や脈絡にひとたびフォーカスするならば、人々はその場その場をシリアスに生きている。そんなことを思わせる小説だった。
おそらく著者自身がいつも、世界の馬鹿馬鹿しさとシリアスさに同時に目を向けながら、目の前で起こる出来事や出会う人々を観察し続けているのだろう。
 
特に、男性向けの小説かもしれない。「なんか、面白い小説ないかなあ」と思っている方に大変オススメ。最初の3ページを読んでみて、この作家の世界観に馴染めなければ、読んでもあまり面白くないだろう。馴染めれば、もうページをめくる手を止めることはできないだろう。
 
小川高義氏による日本語訳が絶妙だ。この馬鹿馬鹿しさとシリアスさの間をハイスピードで行ったり来たりする軽妙な日本語の文章の背後には、どんな原文(英語)があるのだろう。原文と訳文を読み比べてみても、当然ながら僕には、原文からこの軽妙さを感じ取ることはできなかったが、プロの小川氏は、原文からこの軽妙さを感じ取ったのだ。いったいどういう部分にこの軽妙なニュアンスを感じ取ったのだろう。とても気になる。
ところで、上巻においては、不思議なことに、小川氏による訳文が、円城塔の文体に似ているように感じられた。