『舟を編む』(三浦しをん/光文社)を読む。




この作品に引き込まれる人と引き込まれない人、両者は大きく分かれるのではないか。それが、読後感です。なお私は、ある程度引き込まれました。
 
では、なぜそうなるのか。
その理由を解明するために、「気に入った点」と「気に入らなかった点」を一つずつ挙げてみましょう。
 
まず、「気に入らなかった点」から。
それは、この小説に「葛藤」が描かれていないこと。それが本作品の最大の弱点です。葛藤が登場しないがゆえに、限られた読者しかこの作品世界に感情移入することができません。
多くの小説には、葛藤が登場します。一般的に、葛藤は、二つのパターンで描かれます。一つ目のパターンは、主人公(あるいは読者)と圧倒的に価値観を共有しない他者。例えば、主人公が正義感に満ち溢れた人物だとすると、同時にその作品には、徹底して悪を貫く人物が登場したりします。あるいは、主人公が「金銭に置き換えられないものこそ重要だ」という信念を持っていたとすると、逆に「すべては金で買えるのじゃ、わっはっは」みたいなことを豪語する人物が描かれます。そんなふうに「価値観を共有しない他者」が、ライバルや敵として描かれ、主人公と他者の間で葛藤が生じます。あるいは、葛藤のバリエーションとしては、主人公が岐路に立たされ、異なる二つの価値観のうちのどちらかを選ばねばならないという状況に追い込まれたりします。分かりやすい例で言うと、仕事と恋愛のどっちを選ぶかみたいな。古典的なところでいうと、敵対する党派を背景にしてストーリーが進むウエストサイドストーリーなんかもこのパターンでしょう。
葛藤の描かれ方の二つ目のパターンは、主人公の思い通りにならない他者。これは多くの場合、恋愛として描かれます。主人公の愛情や恋心が相手に届かず、主人公が苦悶する。彼・彼女は、どうするべきなのかと頭を悩ませ、諦めるべきか追い求め続けるべきか葛藤する。あるいは、「主人公の思い通りにならない他者」のバリエーションとして、時代、社会、企業、組織なんかが登場し、主人公は意に反して時代に翻弄されてしまう、みたいな展開で葛藤が生じます。
こんな感じで、多くの小説には葛藤が描かれます。そして、何より重要なのが、この葛藤を通して、主人公が変化し、成長することです。このプロセスに伴走しながら読者は、主人公に感情移入していきます。つい主人公を応援してしまう。この先どうなるのかとハラハラしてしまう。敵と闘ったり試練を乗り越えながら冒険を通して主人公が成長していく冒険譚や成長譚に人気が集まるのも、感情移入しやすいせいでしょう。
 
ここで、『舟を編む』に話を戻します。
本作品に「価値観を共有しない他者」は登場するでしょうか。登場しません。主人公の馬締光也が専心している辞書づくりに大変協力的な人物ばかりが登場します。敵対する人間も邪魔をする人間もほとんど登場しません。馬締が所属する出版社の上層部が辞書の制作続行に難色を示すシーンがありますが、具体的な人物が登場しないので、葛藤には発展しません。
次に、「主人公の思い通りにならない他者」は登場するでしょうか。これも、登場しません。本作品では、3組のカップルが結婚したり交際を始めたりしますが、そこに何の葛藤も見いだせません。馬締が、好意を寄せている女性に告白してみたら、あっさり受け入れられてしまう。脇役の岸辺みどりが、ある男性に好意を寄せていたところ、なぜか男性側が岸辺にアプローチしてくる。なんなんだ、これは。摩擦係数ゼロって感じのスムーズ具合です。読者は、いったいどこで登場人物たちと一緒になってドキドキすればよいのかわかりません。
恋愛に関してのみならず、「死」に関しても同様です。本作品では、二人の老人が亡くなりますが、ここにも、「心残りのことがあるのに死ななくてはならないので無念」といったような葛藤はほぼ描かれません。むしろ、辞書の完成をほぼ見届けてから亡くなる辞書監修者の元大学教授とか、孫娘の結婚を見届けてから安らかに亡くなるおばあさんとか、幸せな死に方ばかりです。 
そんなわけで、葛藤を経験しないがゆえに、登場人物たちの信条や生き方が作中でほとんど変化しません。つまり成長しない。小説全体が最初から最後まで、ぬるい。変化と言えば、せいぜい15年の辞書制作期間を経て馬締のコミュニケーション能力が若干向上した程度です。
だから、本書の冒頭で登場人物たちに共感できない読者は、おそらく最後まで共感できないままでしょう。
では、本書の冒頭で登場人物たちに共感できる読者とは、どんな人たちなのでしょうか。それは、言葉、文字、書物、出版などを偏愛する人たちです。
さて、ここからが「気に入った点」に関する話です。
 
本書の中には、「言葉」に関して、味わい深いメッセージが次々登場します。登場人物たちの(つまり作者の)言葉に関する並々ならぬ愛情と敬意が感じられます。私もそこに大いに共感しました。だからこの小説を楽しめたわけです。
共感したセンテンスをいくつか抜き出してみます。
 
・辞書は、言葉の海を渡る舟だ。
・テレビも持たず、さしたる趣味もない馬締は、心を鎮める方法を読書以外に知らなかった。
・いくら知識としての言葉を集めてみても、うまく伝えられないのはあいかわらずだった。
・「あがる」は上方へ移動して到達した場所自体に重点が置かれているのに対し、「のぼる」は上方へ移動する過程に重点が置かれている。
・辞書編纂の進展も、恋の行方も、まるで見えない。この部屋はたくさんの書物と言葉であふれかえっているが、そのうちのどれを選べば状況を打開できるのか馬締にはまったくわからなかった。
・有限の時間しか持たない人間が、広く深い言葉の海に力を合わせて漕ぎだしていく。こわいけれど、楽しい。やめたくないと思う。真理に迫るために、いつまでだってこの舟に乗りつづけていたい。
・言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうための力に自覚的になってから、自分の心を探り、周囲のひとの気持ちや考えを注意深く汲み取ろうとするようになった。
・言葉は、言葉を生みだす心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものなのです。また、そうであらねばならない。
・死者とつながり、まだ生まれ来ぬものたちとつながるために、ひとは言葉を生みだした。
 
こういう世界観に親近感を持てる読者の皆さんは、この小説を楽しめるかもしれません。そう考えると、「全国の書店員が投票で決定」する「本屋大賞」において、本書が1位(2012年本屋大賞)に選ばれたのは、ごく自然なことです。書店員さんの中には、言葉、文字、書物、出版などの世界を愛しているか、それらを大変身近に感じている人が多いでしょうから。
 
本書は、言語や書物をマニアックに愛する者に共感や安堵感を与えます。そんな方にはオススメです。
しかし、せっかくなので、もう少し広い読者層を想定して、オススメしてみます。
言葉、文字、書物、出版などの世界を愛している人以外には、どんな人がこの小説の世界観を楽しめるでしょうか。
それは、非常に趣味性の高い仕事を職人的に追求し、その仕事に人生をかけているような人たちです。おそらくクリエーティブな業界にそういう人が多いのではないでしょうか。よい作品をつくるためなら徹夜も厭わないデザイナーとか。辞書づくりに全生活を捧げている馬締ら登場人物たちも、そんな世界を生きる人々です。本書は敬意を込めて彼らを「変人」と呼びます。「『業』としか言いようのないものに突き動かされている」、「お金を稼ぐためだけに働くって、人間の精神構造上、無理なのかもしれない」、そんな本書のセリフが「変人」のマインドを的確に表現しています。あなたが自分の仕事を振り返った時、このセリフに大いに共感できるのであれば、『舟を編む』を楽しめると思います。
  
最後に一つ。
おそらく著者の三浦しをんさん自身が、大変善良で優しくて素敵な人なのではないかと私は想像します。だから、作品の中に悪人や他者が登場しないのではないでしょうか。もしこの著者が今後、悪とか、人間のドス黒く汚い部分とか、日常の小さいけれど深刻な違和感とか、そんなネガティブな側面を深く直視し小説の中に描いたら、大変魅力的な作品が生まれそうな気がしました。
 
あっ、もう一つ。
上記のように、散々「本作品には葛藤がない」と書きましたが、もしかすると、「葛藤がない」ことのほうが、現代のリアリティーなのかもしれません。私は今まで、「葛藤のない小説にはリアリティーがない」と思っていました。しかし、10年前くらいに「世界の中心で、愛をさけぶ」という映画と小説を見た時、葛藤のなさに驚きました。これは、脊髄反射的に観客の涙腺を緩ませる単なる装置に過ぎないじゃないか、と。もしかすると、そんな葛藤のなさこそが、リアリティーを持つのかもしれません。そのあたりは、ぜひ「さとり世代」の方々に聞いてみたいところです。
 
以上、読後感の報告でした。
 
 
〈勝手に採点〉
・登場人物たちの魅力 ★★★☆☆
・ストーリー展開 ★★☆☆☆
・設定(時代、場所、状況等) ★★★☆☆
・メッセージ性 ★★★☆☆
・文章の魅力 ★★★☆☆

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