こんにちは。

いくつかのプロジェクトが重なり、blogをアップできず、なんと大晦日になってしまったが、この2カ月くらいの出来事のうちで書き残しておきたいことだけアップしておこう。

■代官山にオープンしたTSUTAYAへ。とても素敵な施設だ。
ファサードを覆うT字のタイルが印象的で象徴的。それ以外はシンプルなガラスボックス3棟で構成されている。
このシンプルな箱のような建物が、体感的な気持ちさを僕らに与えてくれる理由は何だろう。
理由の一つは、回遊性。一つの棟の内部でも当然、書棚の間を回遊できるが、それ以外にも、分棟配置された建物の間を歩いたり、2階のブリッジで別の棟へ行ってみたり、回遊のバリエーションが多く用意されている。特に内部空間と外部空間を織りまぜた回遊性であることが、その効果を高めている。そもそも、代官山という街において回遊性は大事なテーマだ。代官山という街のイメージ形成に大きく寄与してきた一連のヒルサイドテラスで、設計者の槇文彦氏は、回遊性のある空間を生み出し、都市散策の豊かな経験を人々に提供してきた。そのヒルサイドテラスに近接して建てられたTSUTAYAも、うまく回遊性を継承している。
理由のもう一つは、インテリアの質感であるように思える。家具や什器を中心に、インテリアが温か味のある木目調素材でつくられている。店内の随所に設置されたベンチやCD視聴コーナーも、丁寧にデザインされているように感じられ、気持ちよい。うろ覚えだが、床材の足触りも良かった気がする。こうしたインテリアの質感や、インテリアに手間暇が掛けられていると人に感じさせる雰囲気は、商業空間のデザインにおいて、とても重要だ。いろいろな商業施設を見ていると、建築の外観はハイクオリティーに作り込まれているのに、内部空間が寒々しいという商業空間を見掛けることが少なくない。このTSUTAYA代官山はその逆で、外観は簡素だが、内部空間には工夫や質感が感じられる。そのせいか、見た目以上に、豊かな空間体験をした気分になる。
その他、気に入った点がいくつかあった。映画のDVDが置かれているエリアでは、棚が曲面を描いており、なんとなく劇場を連想させるプランニングになっている。また、クラシックCDのコーナーでは、書斎のようなヒューマンでアットホームな空間になっている。こうして、全体が均質な空間イメージなのではなく、置かれる商品の性格に合致した空間が用意されている。
このTSUTAYAを含めた「代官山DAIKANYAMA T-SITE」は、街の価値を向上させる施設になりそうだ。
http://tsite.jp/daikanyama/

 
■代々木にオープンした「代々木ビレッジ」へ。これまた、回遊性のある楽しげな施設。複合商業施設としてはコンパクトな敷地の中に、コンテナを積み重ねたような店舗群とグリーンが同居するカジュアルな施設だ。子供連れのファミリーにも便利そうだ。温かくなったら、もっと居心地がよくなるだろう。長時間滞在する施設というより、頻繁に通りがかりに立ち寄りたい日常的な施設だ。
コーヒーショップやスープ店の前のテラス風の席が少々狭苦しい印象で、人々はこんな窮屈な場所で飲食をする気になるだろうかという疑問も湧いたが、考えてみれば、新丸ビル内の「丸の内ハウス」や有楽町ルミネの地下の小型フードコートエリアのように、廊下の片隅や柱の影や階段の下みたいな場所でも人々が違和感なく飲食する時代だから、少々狭苦しいくらいなら問題ないかもしれない、と思い直した。
平日の昼下がりにでも、フラッと立ち寄って、コーヒーを飲みながら小説でも読みたい、そんな素敵な施設だった。
http://www.yoyogi-village.jp

  
■代官山の「SHUTTERS」へ。スペアリブ、パスタ、アップルパイアラモード、コーヒーなど戴きながら、ゆっくりできた。それにしても、ラフェンテ代官山の地下の飲食フロアがシャッター通り化していたので、驚いた。なのに、シャッターズが開いているとは、これいかに。
 
■品川のカフェで、1年ぶりくらいに空間デザイナーの中原崇さんとお話する。展示施設のプロジェクトを中心に面白いお話の数々。
■中川誠一さん率いるネクストエムの10周年記念パーティーへご招待いただき、お邪魔する。ネクストエムさんは、ホテル設計のプロデュース業を中心に、様々な商業空間の設計、プロデュースを手掛ける。パーティーはとても温かい雰囲気で、日頃から豊かな人脈を築きながら、そうした方々とのコラボレーションによってプロジェクトを手掛けているのであろうと感じた。
http://www.next-m.co.jp/
■そのパーティーで、杉原商店の杉原社長にお会いする。杉原商店は、以前から気になっていた福井県の和紙メーカーさん。今も、日本橋高島屋で展示中の大型ディスプレイに杉原さんの和紙が使われているそうなので、年明けに見に行きたい。ちなみに杉原社長は、俳優のハーヴェイ・カイテル似のダンディーな方。
http://www.washiya.com/
 
■来年あたり誌面で実現したい大型企画が5本くらいある。一刻を争うようなタイムリーな企画内容ではなく、いつ読んでも楽しんでいただけそうな普遍的な企画内容なので、実現まで数カ月、内容を練りながら、実例を収集しよう。打ち合わせ、取材、パーティーなどでいろんな方々にお会いして雑談していると、「あっ、あの特集に、この方にもご登場いただきたい!」と思う瞬間があり、徐々に企画のラインナップが厚みを増していく。
 
■表参道のジュエリーショップ「クリオブルー」撮影。インの伊吹さん。カメラマンの藤本さんに撮っていただく。
細かい気遣いで作り込まれた什器が印象的。ジュエリーショップでは、ブティック以上に、商品陳列什器の繊細さが求められると思う。というのは、ジュエリーは小さな商品であるから、ジュエリーを見ているとき、客の眼は、とても解像度が上がった状態になっている。だから、もし什器に粗さがあれば、客はその粗さにすぐ気付く。
夜、外からこのお店を見ると、まるで道端の蔦の影に、チャーミングな陳列什器がそっと置かれているように見えて、素敵だ。
店内のカウンターも、穏やかながら、インパクトのある造形で、眼が離せなくなる。
詳細は、商店建築2月号にて、お伝えします。
http://www.clioblue.co.jp/
ファサード1カットは、「晴れ間が出たら撮ろう」と考え、付近のクルックカフェでコーヒーを飲みながら、カメラマン藤本さんとともに晴れ間が出るのを待つ。が、結局、晴れず。ところが、解散した1時間後くらいに晴れてきた。。。
■リニューアルされた原宿のドトールコーヒーへ。西脇一郎さんによるデザイン。居心地がよく、仕事がはかどりそうだ。仕事の移動中などに立ち寄るのにオススメ。
 
■六本木の「野菜寿し ポタジエ」へ。美味しくて、空間もサービスもよく、オススメのお店。
http://www.sushi-potager.com/
メタボリズム展再訪。
■取材にて、日本設計、乃村工藝社、メックデザイン、日建スペースデザイン、都市デザインシステム、ネクストエムにお邪魔する。これは、来年、面白いプレゼンテーション企画に昇華する予定。
 
■銀座のコージーコーナーへ。1年以上前だろうか、大阪の設計者の山羽ひとみさんの設計でリニューアルされた。2階カフェは、小さな街のような雰囲気で、気持ちいい。ケーキも美味しい。銀座散歩の休憩にオススメ。
 コージーコーナー銀座1丁目本店
 東京都中央区銀座1-8-1
 http://www.cozycorner.co.jp/product/ginza_honten/pc/
 
■秋頃、新宿のビームス内にあるギャラリー「B GALLERY」で、サポーズデザイン谷尻誠さんによる展示「Relation」を見た。すごく興味を持った。
いただいた案内状によれば、「初めてのアートの個展ですが、建築の模型をつかって作品を展示しています」とのこと。
会場に行ってみた。一見すると、ギャラリーの中央に街の模型が一つ鎮座しているだけのように見える。
ところが、よく見ると、その模型が浮いている。台座と模型にそれぞれ磁石が仕込まれており、リニアモーターカーのように、模型が少し台座から浮いている仕掛け。
この模型展示は、谷尻さんが探求しているテーマの一つを表しているように見えた。
 
谷尻さんは、様々な建築や空間の設計を通して、共通するいくつかのテーマを追究しているように見える。
それらは、どんなテーマか。
例えば、空間の境界をどう設定するか(あるいは、どう設定しないか)という問題。ブティック「アースミュージック舞浜」「アースミュージック大阪」、カフェ「cafe/day」、ミラノサローネでの音響を使ったプロジェクトなどがそれにあたる。
あるいは、例えば、気持ち良さというテーマ。ウエディング施設「The South Harbor 」、ブティック「52」、そして多くの住宅を含め、ほぼすべてのプロジェクトで、このテーマは追求されているように見える。
あるいは、例えば、いかに重力から解放された空間をつくるかというテーマ。風船と不織布を使った、2008年のDesign Tideの会場構成は、その例だろう。そして、今回の展示もこの例あたる。
もっとも、「重力から解放された空間をつくるか」というテーマは、「空間の境界をどう設定するか」というテーマの一環かもしれない。なぜなら、「重力から解放された空間をつくること」は、現実と非現実の境界や、(重力の)存在と不在の境界を考えることであるから。

 
■「BIBLIOPHILIC & bookunion 新宿」を見に行く。自分の家にもこんな書斎があったらいいなあ、と思うような、書物と、書物に関する雑貨に囲まれた温かい空間。
デザインしたのは、建築家の田中裕之さん。
田中さんからのお知らせによれば、「CD、レコードなどを扱うdisk unionが新しい試みとして始めた本屋&読書用品ブランドの旗艦店」とのこと。
 BIBLIOPHILIC & bookunion 新宿
 新宿区新宿3-17-5 カワセビル3F
 http://bibliophilic.jp
 www.hiroyukitanaka.com

■秋のデザインイベントで幾つかの会場をまわった。文章化すると長くなりそうなので、写真のみ。

■BAMBOO EXPOへもお邪魔した。インティメートな建材見本市という新しい試みだと感じた。

■西新宿にオープンしたシェアオフィスの内覧会へ。セルフビルドだそうだが、日本地図の形の大胆なテーブルがあり、インパクトがある。会社から徒歩3分。いい場所だ。
乃村工藝社の松浦さん、sinato大野さん、建築写真家の矢野さんらと、賑やかに飲む。とても素敵な時間。みんなだいたい同じくらいの世代で、前向きに創造活動をされている姿に刺激を受ける。
 
FREITAG STORE TOKYOへ。内装設計は、トラフ建築設計事務所
シンプルで明快でインパクトある空間。ブランドイメージの質実剛健さが空間に表現されているように見えた。
商品の収納ボックスを大量に並べ、それ自体をインテリアデザインとするという手法は、靴屋のデザインなどで昔からある手法ではある。極端に一つの素材のみ(今回は収納ボックスのみ)に絞って空間を構成することで、否応なく特殊性を生み出せる。
少し敷衍して一般化すれば、デザインする際の持ち駒(選択肢)を極端に制限するだけで、ある程度の作家性やインパクトは確保できる。あえてコンクリートと単純な幾何学的造形のみに持ち駒を制限して設計している安藤忠雄さんは、その典型例かもしれない。
 
 FREITAG STORE TOKYO フライターグ・ストア・トウキョウ
 東京都中央区銀座1-13-12

 
■自由が丘のレストラン「あえん」へ。野菜中心のヘルシーで美味しい料理の数々。新陳代謝の激しい自由が丘の街で、長く(15年くらいだろうか?)営業しているのも、うなずける。オススメのお店。
 http://r.gnavi.co.jp/g733500/
  
日経新聞(2011/12/25付け)に、「一杯のコーヒーから」と題された片岡義男さんのコラムが載っていた。休日に読むふさわしい、とても素敵な文章であった。お手元にお持ちの方には、ぜひ一読していただきたい。
内容はとてもシンプル。コーヒーを一杯飲む間に、素晴らしい短編小説のアイデアを一本、発案できたら素晴らしいなあ、という著書の希望が書かれている。それだけだ。それだけなのに、素晴らしい。
なぜ素晴らしいかというと、おそらく、シンプルな主題の中にいくつもの要素が入っているから。コーヒーが持つ文化的な香り。作家の自己陶酔。創造することの苦労。アイデアが生まれるタイミングの話。ゆったりした時間と性急な時間。作家の日常。そんないろんな要素が入り交じっていて、文章に奥行きが出ている。
著者は、アイデアが降臨することを期待して京都の喫茶店に行ってみた。しかし、そこではアイデアは浮かばず、帰りの新幹線や帰宅後の風呂でアイデアが浮かぶ。つまり、アイデアは、その人が深く集中的に考えた数時間後の心身ともにリラックスした瞬間に、降臨するのだ。僕の経験から言っても、そうだと思う。
ならば、著者は、喫茶店でアイデアを考えるべきではなく、どこかで深く集中的に考えた後に、喫茶店にリラックスしに行けばよい。そうすれば、コーヒーを飲む間にアイデアが降臨する確率は上がる。著者が書いているように、コーヒーに神経を解放する作用があるのなら、なおのことコーヒーを飲みながらリラックスするというのは、理にかなっている。
いずれにせよ、気持ちいいコラムだった。こんなコラムこそ、美味しいコーヒーをゆっくり飲みながら読むにふさわしいと思った。
 
■宣伝っぽくて恐縮ですが、弊誌のデジタル版の発売が、オンライン書店fujisan」さんから始まりました。
http://fujisan.co.jp/pc/d-web-shotenkenchiku
1月半ばから、zinioさんからも発売されます。
http://jp.zinio.com
弊誌は厚くて重くて持ち歩きにくいと思うので、出張などに数冊持参して、新幹線や飛行機の中で読みたいとか、バックナンバーを保存しておくと場所をとるので事務所のiPadだけで読みたいとか、そんなニーズにお応えできるのではないかと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
 
■偶然、最近、ある小説家や批評家が自身の父親について言及している文章を見掛けた。それらの文章は、批評書のあとがきや、小説であった。それらは、互いにまったく関係のない文章だ。
しかし、それらの文章を読むうちに、父子関係の定型のようなものが存在するのではないかと思った。それは、以下のようなストーリーだ。(もちろん決して一般化できないだろうし、いくつもの定型が存在するかもしれないが。)

ある父子がいる。子の幼少期において、子にとって父はさほど重要な存在ではない。けれど、物心がつく頃、子は父の人格的欠陥や偏向を直観する。そして、子は、「自分がオトナになる頃には、自分は絶対にこんな人間にならないようにしよう」と心に強く誓う。その決意は意識的にも無意識的にも、子の成長過程を規定する。例えば、何を学ぶべきか、どのように行動すべきか、どのように考えるべきか、そうした決断の数々を意識的にも無意識的にも規定する。やがて、子は、オトナと言われる社会的立場を得る頃、一つのことを悟る。「いつの間にか自分は、かつて思い描いたとおりに、父の欠陥や偏向を超克し、はるか遠くまで登ってきた」、と。そして、若干の安堵を得る。と同時に、子は、新たな二つの問題に気付く。
一つ目の問題は、父から受け継いでしまった、どうしても払拭しきれない立ち居振る舞いや思考の癖が、自分の身体の奥底に偏在していること。ただし、その立ち居振る舞いや思考の癖が、前出の「欠陥や偏向」と同一のものでなければ、特に問題はない。
二つ目の問題は、父の欠陥や偏向を超克し得たことと引き換えに、自身もまた別の何かを学び逃したり、何かを学び過ぎたりしており、そのため、父とは異なる形で、自身もまた父と同様に人格的ないびつさを持ってしまったということ。この二つ目の問題は深刻だ。
この事態をどう結論付ければよいのか、と子は悩む。歴史は繰り返すと思えばよいのか。あるいは、この事態を、自身が父になった際に子に伝え聞かせ、同じ道を繰り返させないようにすべきなのか。あるいは、そもそも「バランスの取れた完璧な人格」を暗黙裡に前提したことが間違いだったのか。あるいは、人類は代を重ねるごとに進歩すべきという発想が間違いであり、代を重ねても、単に旋回したり振幅したりするだけなのではないか。
なかなか答えは出そうにない。しかし、子は、一つの結論付けを試みる。まず、反面教師として父は十分に機能した。さらに、ひとまず父を道標として、子は自分自身の変化を測定することができたのだから、父は道標としても十分に機能した。もしかすると、父という存在が持つ機能は、まさにこの「反面教師」と「道標」なのではないか。ならば、万事うまくいったではないか。こうして、子は、「父という人間が肯定され得なくても、父という存在が肯定され得る」という視点を発見する。

ざっとこんなストーリーだ。
冒頭に触れた作家がこんなストーリーを経たかどうかはまったく不明だが、彼は、子供を持ちたいと思うようになったとの旨を記してる。
このストーリーは、エディプスコンプレックスのように汎用性のあるストーリーではないだろうけれど、いくらかの一般性はあるかもしれない。今後、父子を描いた映画や小説を見る時に、検証してみよう。と同時に、現実世界に無数に存在する父子関係も検証してみよう。
ちなみに、父子関係についてだけでなく、母娘関係についても気になる。母娘関係については、信田さよ子氏や村山由佳氏の著書が少々気になる。それは、またいつか。
 
■最近、懸念していることが一つある。それは、もし現状の条件をほぼ丸飲みで日本がTTPに加入してしまったら、日本の国民が、日本政府の愚行と無能に失望するだけでなく、むしろ、傍若無人な勘違いぶりで暴走し続けるアメリカに対してかなり激しい憎悪の念を抱き始めるのではないか、という点。もしかして、若い層を中心に、アメリカ製品(農業製品、工業製品、サービス)への不買運動などが起きることもありえるのではないかと、ふと思う。