当事者意識の欠如

当事者意識の圧倒的な欠如。
これは、特に仕事の場面において、少なくとも2つの意味で大きな問題である。
一つは、成果物のクオリティーが低くなる。
もう一つは、自分自身が成長しなくなる。
 
自分の身に起こる出来事はすべて、自分の責任において自分が招き寄せた帰結である。
うまくいかないことがあれば、その責任はすべて自分にある。一寸たりとも、他の誰かのせいではない。100%自分の責任である。もし1%でも「この出来事や状況は、私のせいではない。他人のせいである。ゆえに私ではない誰かが解決してくれるべきだ」と考えた瞬間に、その人の成長はそこで停止する。
 
目の前に不満があれば、それは自分の手で改善するしかない。決して誰かが代わりに改善してくれることはない。
 
私がやらなくても、誰かがやってくれる。誰かが改善してくれる。誰かが導いてくれる。
心の中の無意識という領域にうっすらと、しかしまんべんなくこびりついたこの発想を、常に注意深く剥がしておく必要がある。剥がし続けなくてはならない。気を許せば、その思考は、いつの間にかまた蜘蛛の巣のように人の心を覆っている。
 
とはいえ、「私には当事者意識が欠如している」と自分で気がつくことは、どうやら、とても難しい。むしろ逆に多くの人は、「私は責任をもって仕事に取り組んでいる」と自分自身を評しているのではないか。
 
なお、誤解なきよう念のため付け加えておくと、「責任をもって自分の手で改善する」ということは、「誰にも頼らず、誰の力も借りず、自分ひとりで解決する」という意味では、まったくない。
 
自戒を込めて。。。