「ハシモトユキオノモケイ展」

 

先日、東京・青山で開催された、「ハシモトユキオノモケイ展」に行ってきました。
昨年亡くなられた、日本を代表するインテリアデザイナー、橋本夕紀夫さん。
その橋本さんが主宰する設計事務所による、模型展です。
一般的に、建築設計事務所では、必ずと言ってよいほど模型をつくってスタディーやプレゼンテーションをしますが、商業空間のインテリアデザインを手掛ける事務所では、設計期間が短いということもあり、模型よりもCGパースを使ってスタディやプレゼンテーションをするケースが多いと言えます。
ところが、橋本夕紀夫デザインスタジオでは、毎回、精密な模型をつくっている。取材で事務所を訪れるたびに、そのことがとても印象的でした。
今回の会場には、これまで橋本夕紀夫デザインスタジオが設計してきたプロジェクトの模型が多数並びました。
模型を眺めながら、「そういえば、取材のたびに、橋本さんはいつも丁寧に、明確なコンセプトに沿って、デザインのポイントを話してくださったなあ」と、その声色とともに頭の中で思い出していました。
  
さて、実は、橋本夕紀夫さんの訃報を聞いた昨年3月のあの日、帰宅してからも、どうしても気持ちが落ち着かず、家の中をウロウロと歩きまわりながら、「なんとかして、今、頭の中に湧き上がってくる気持ちや情景を言葉にして昇華して体外に出さないと、落ち着くことができない」という気持ちが身体の奥底から湧き上がってきました。
鎮魂の気持ちというのは、こういうことを指すのかもしれません。
そうして、その晩に、一気に書き上げたテキストが、まだパソコンの中に残っていました。
1年以上寝かせてしまいましたが、ささやかながら、橋本さんへの感謝の気持ちを込めて、ここにアップしておこうと思います。
  
 
 

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 2022年3月20日、デザイナーの橋本夕紀夫さんが急逝した。名実ともに現在の日本を代表するインテリアデザイナーの一人だった。
 橋本さんは大学卒業後、杉本貴志さん率いる設計事務所「スーパーポテト」を経て、1996年に独立。「橙家」「音音」など多数の飲食店を中心に、ショップやオフィスまで幅広く設計した。代表作となる「ザ・ペニンシュラ東京」以降、ホテルの設計依頼も多く舞い込み、デザイナーとして絶頂期にあった。そして、その期間はこれからもまだまだ続くと信じて疑わず私たちは取材を行っていた。

 取材で定期的にお会いする橋本さんは、がっちりとした体躯から発する太い声と朴訥とした語り口を通して、いつもデザインに対する真摯さと熱意を私たちに感じさせた。
 橋本さんを取材していて最も印象的だったのは、どんなプロジェクトにおいても常に、たった一言で言い表せる明確なコンセプトを持っていたという点だ。その一点に向けてすべての意思決定がなされているように見えた。そして、一般的にデザイナーの方々への取材の中で頻繁に私が耳にする、「予算がなかったから(または、工期が短かったから)、ここまでしかできなかった」という類の言葉を、橋本さんの口から一度も聞いたことがなかった。橋本さんは、"最も重要なテーマは何か”ということを常に強く意識している、根っからのデザイナーであると常々感じた。
 スーパーポテト在籍時代に、レストラン「春秋 赤坂」の設計担当者となった橋本さんは、当時の様子を、「1年も費やした設計期間は、ほとんど事務所に帰らず、ひたすら日本中をまわって古材や職人技術を探していた」と回想し、「それ以来、デザインは、必ずしもすべてを自分一人で考えなくても、いろいろな良いものを採り入れれば良いんだと気づいた。そうしたら、肩の荷がおりて、デザインに時間がかからなくなった」と語った。独立後も橋本さんは、左官、漆、木工、織物などの職人や現代美術の作家と協働して空間をデザインし、デザイナーであると同時に、職人や作家の魅力を引き出す"プロデューサー”としての手腕も見せた。

 あるホテルのコンペでは、外注していたパース制作者とのトラブルでプレゼンテーション直前になってパースが納品されなかったため、橋本さん自ら、プレゼン前日に徹夜で何枚もスケッチを描き上げ、コンペを勝ち取ったと聞いた。そんな瞬発力の人だった。一方で、設計術についてインタビューをした際には、「施主から、デザインのヒントとなるような『これだ!』と思える言葉を引き出すまでは、絶対にミーティングを打ち切らず、何時間でもヒアリングする」と話した。瞬発力の人であると同時に、粘り強さの人でもあった。
 こうした相反する要素が橋本さんの中で高いレベルで同居している、と取材を通じていつも感じていた。
 
 数年前、大阪で酒の席をご一緒した際、偶然同じだった宿泊先に帰るために同乗したタクシーの中で、ぐっすりと眠って、起こしても起きない橋本さんを見て、どっしりとした余裕のある風貌とは裏腹に、実は日々を全力で駆け抜けているのではないか、と感じたことを思い出す。
 業種や規模を問わない多彩な空間デザインを通して、橋本さんが数え切れない驚きと高揚感を私たちに提供し続けくれたことに感謝すると共に、心よりご冥福をお祈りいたします。(2022年3月、塩田健一)
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