『ゴシックとは何か―大聖堂の精神史』

『ゴシックとは何か―大聖堂の精神史』(酒井健ちくま学芸文庫)を読む。

素晴らしい力作である。著者自身もあとがきで述べているように、本書は建築様式のみの視点からではなく、「数世紀にわたる宗教・社会・文化の視点から大聖堂を考察」している。

通読すると、ゴシック様式の特徴、その誕生の経緯、その衰退の経緯、その復興の経緯、さらにはゴシック様式と対比しながらルネッサンス様式の特徴や誕生の経緯まで理解できるという充実した内容だ。著者の明快な文章と豊かな想像力に助けられ、飽きずに最後まで読み通すことができた。

そしておそらく本書は、建築に興味を持つ人はもちろん、キリスト教に興味を持つ人、中世ヨーロッパの庶民の生活に興味を持つ人、技術革新と社会の変容に興味を持つ人など、多様な読者を楽しませるだろう。著者はゴシック建築の特徴の一つを「他なるものへの絶えざる開け」と定義しているが、まさに本書自体も「他なるものへの絶えざる開け」を有しているように思われる。

先日読んだ『結婚式教会の誕生』では、ウエディングチャペルのデザイン様式として、ゴシック様式が人気であることが指摘されていたが、デザイナーが本書のような本を読み込めば、「なんちゃってゴシック」が回避できるかもしれない。

わずか900円のコンパクトな文庫本に、これほど充実した内容が詰まっているとは、コストパフォーマンスも大変よい。フランス、イギリス、ドイツ、スペインなどへ旅行される機会があれば、行きの機内で読んでみると、大いに興奮が高まるのではなかろうか。そして、こうした時代背景を知った上でゴシック様式の大聖堂を見れば、その感動はきっと厚みを増すだろう。

以下に、印象に残った点をメモしておこう。

・序盤のゴシック誕生の経緯では、11世紀半ばのフランスにおける農業革命という社会背景が説明されている。人口増加と農地拡大に伴って、自然の消滅と農村から都市への人口の移動が生じた。特に、農家の跡を継げない次男や三男が、農村を離れ、都市に出て行くケースが多かったという。その結果、出身地を異にする他者たちが密集して住む「都市」が誕生した。しかし、フランスの人口の9割を占める農民たちは、キリスト教徒ではなく、自然崇拝や地母神崇拝が主流だった。そのため新都市住民たちは都市に「深い森の世界」を求め、ゴシック様式が生まれた。

・本書の随所で、「異教の風習をキリスト教のうちに吸収する妥協策」(p.79)について語られている。組織が巨大化していくためには、排他的になるのではなく、節操なく包摂していくほうがよいのだろう。当時のキリスト教ゴシック様式の大聖堂も「他なるものへの絶えざる開け」を求められていたことが伺える。

・司教たちの虚栄心もあり、各地のゴシック大聖堂は建設ラッシュと巨大化が起きる。現代なら、ムダ使いと言って糾弾されそうだ。

ゴシック様式の建築の特徴として、グロテスクさ、過剰さ、終わりなき上昇の運動、単一化や節度や均整を志向しない意匠、未完了のアンバランスな姿などが挙げられている。

・中盤の話題は、なぜ14世紀にゴシック建築が衰退し、ルネサンス建築が隆盛したか。英仏百年戦争、ペスト、宗教革命、グーテンベルク活版印刷技術の普及、商人の合理的な精神などが挙げられる。そして、「合理的人間を尊ぶ人間中心主義」であることなど、ルネサンス建築の解説にもページが割かれている。

・終盤では、18世紀のイギリス、ドイツ、フランスで再び隆盛するゴシック(ゴシックリヴァイヴァル)について説明されている。政治的・文化的自由のルーツをゴシックに求めたことが背景にあるようだ。

・最後に、ゴシックの精神の系譜として、アントニオ・ガウディについても解説されている。本書を読んで気付いたが、自然の生命力をモチーフにした造形を志向しながらも科学的な構造力学システムを用いているという点で、ゴシックとガウディには相同性がある。

ゴシックとは何か―大聖堂の精神史 (ちくま学芸文庫)

ゴシックとは何か―大聖堂の精神史 (ちくま学芸文庫)