『純粋理性批判2』

■『純粋理性批判2』(カント/光文社古典新訳文庫)を読む。

2冊目まで読んで強く感じるのは、カントが病的なまでに偶発性や不確実性を忌避していること。そして、ひたすら確実性と普遍性を追求していること。

人間の知覚は「感性」と「知性(悟性)」という二つの能力に支えられている、とカントは言っている。1冊目では、「感性」にアプリオリに備わっている形式について解説していた。そしてこの2冊目は、「知性」にアプリオリに備わっている形式について解説している。

「知性とは、規則を与える能力」(p236)。
「知覚が可能になるためには、(中略)カテゴリーが働かなければならない」。(p171)
カントは、「知性」にアプリオリに備わっている形式を「カテゴリー」と呼び、それについて説明している。例えば、僕たちが二つの出来事AとBを見てそれらに因果関係を感じるのは、AとBに因果関係があるというよりも、人間の知性の枠組み(カテゴリー)にあらかじめ備わっている因果関係という概念をAとBに適用しただけということだ。1冊目の「感性」に関する話でも、時間と空間という枠組みは、認識される事物の側にではなく認識する人間の側に備わっていると説明されていたが、「知性」に関する話でも似たようなスタンスのようだ。

では、感性と知性をブリッジするものは何だろうと思って読み進めていくと、後半で、「産出的な想像力」というキーワードが登場する。この産出的な想像力とは、多様なものを一つの認識において把握する「総合」という働きを可能にするそうだ。「想像力」は便利なキーワードだが、想像力の働き方は妥当性を持っているのか、偶発的な働き方をしてしまうことはないのかが気になる。それは、3冊目以降で。

ところで、1冊目では、カントの文章自体が分かりやすく、訳者による解説文のほうが難しくてよく分からなかったが、この2冊目では反対に、カントの文章が難しくて分かりにくいのだが、訳者による解説文が大変明快で分かりやすい。

純粋理性批判〈2〉 (光文社古典新訳文庫)

純粋理性批判〈2〉 (光文社古典新訳文庫)